閑谷黌(読み)しずたにこう

精選版 日本国語大辞典 「閑谷黌」の意味・読み・例文・類語

しずたに‐こう しづたにクヮウ【閑谷黌】

備前岡山藩郷学(ごうがく)。藩主池田光政によって寛文八年(一六六八)に創設されたもので、江戸時代における藩営郷学の最も早い時期の一つに属する。延宝三年(一六七五)以降、領内民間教育の中心校となり、明治三年(一八七〇)の廃校まで人材養成に貢献した。その遺構が国特別史跡に指定されて岡山県備前市閑谷に現存する。講堂国宝。閑谷学校。

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デジタル大辞泉 「閑谷黌」の意味・読み・例文・類語

しずたに‐こう〔しづたにクワウ〕【閑谷黌】

江戸時代の岡山藩の郷学ごうがく。寛文8年(1668)藩主池田光政が民間子弟教育のために、領内各地に手習い所を設置したがまもなく廃絶し、同10年閑谷に学校設立を命じ、元禄14年(1701)までに完成。明治になって廃絶したが、ほとんどの建造物が現存する。講堂は国宝。閑谷学校。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「閑谷黌」の意味・わかりやすい解説

閑谷黌
しずたにこう

好学の岡山藩主池田光政(みつまさ)の創設した庶民教育のための藩営の郷学(ごうがく)。光政は和気(わけ)郡閑谷の地を選んで、1670年(寛文10)学校奉行(ぶぎょう)津田永忠(ながただ)に学校の建設を命じた。永忠の献身的な努力で1701年(元禄14)までには講堂、聖廟(せいびょう)、学房(がくぼう)などが壮麗堅固に完成した。また、永忠は主命による学校の永続性を考慮して、学校領(田地山林)の設定、精妙な建造技術の駆使、創設者光政を祀(まつ)る芳烈祠(ほうれつし)(のち閑谷神社)の建立による精神的権威の確立などのくふうを凝らした。学統は「純粋朱説」で、習字、素読(そどく)を必修とした。入学者は上層庶民の子弟が主で、家中武士の子弟や他領者も含まれた。明治維新後は私立学校などとして存続した。国の特別史跡で、国宝の講堂をはじめ遺構は国指定重要文化財。

[谷口澄夫]

『閑谷学校史編さん委員会編『閑谷学校史』(1971・同書刊行会)』


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世界大百科事典(旧版)内の閑谷黌の言及

【閑谷学校】より

…1666年(寛文6)藩主池田光政は領民教化の一環として和気郡伊里村閑谷(現,備前市)の地に学校設立を計画し,68年手習所を開設したのに始まる。75年(延宝3)各地の手習所を統合して規模を拡張し,正式に閑谷黌(しずたにこう)と称した。藩主の特別の保護により,講堂,聖廟,文庫などをもち,藩校に比肩しうる規模を備えた。…

※「閑谷黌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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