間重新(読み)はざま・じゅうしん

朝日日本歴史人物事典 「間重新」の解説

間重新

没年天保9.1.2(1838.1.27)
生年天明6(1786)
江戸後期の天文家。間重富長男大坂長堀富田屋町の生まれ。13歳で天文観測技術を身につけ,15,6歳ごろ松岡能一について数学を学び,いずれにも豊かな天分をあらわした。父重富が江戸天文方に出向している間は大坂で御用測量を行い,19歳の冬からは独立して観測をするようになり,観測技術においては当代随一といわれた。生来病身でありながら53歳で病没するまでの40年間,孜々として観測を続け記録は江戸の天文方渋川景佑に送った。重新は理論家ではなく観測技術家であり著述は少ないが,観測技術を改良発展させた功績は大きい。

(内田正男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「間重新」の解説

間重新 はざま-じゅうしん

1786-1838 江戸時代後期の天文家。
天明6年生まれ。間重富(しげとみ)の長男。松岡能一(のういち)に数学を,父に天文観測術をまなぶ。家業の質商のかたわら天文観測をつづけ,文化6年(1809)から幕府の測量御用をつとめた。天保(てんぽう)9年1月2日死去。53歳。大坂出身。名ははじめ重威。字(あざな)は伯固。通称は五郎兵衛。著作に「彗星(すいせい)実測記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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