関重忠(読み)せき・しげただ

朝日日本歴史人物事典 「関重忠」の解説

関重忠

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:文久3.11.22(1864.1.1)
明治期の海軍軍人小田原藩(神奈川県)藩士関重麿長男。明治16(1883)年機関学校卒。16年にイギリスから輸入した軍艦筑紫」に水圧機や発電機という従来なかった近代的な機械類が積まれており,これらに対応できる人材を養成すべく,18年森友彦八少機関士(帰路軍艦「畝傍」とともに行方不明)と共にイギリスに派遣され,グリニッジ海軍大学校の1年課程に学んだ。艦艇,造船所で実習を行い,22年帰国。機関科士官が本務の研究のため留学したのはこれが初めて。日露戦争(1904~05)時には戦艦朝日機関長を務め,44年少将に進む。翌年舞鶴鎮守府機関長を最後に待命。<参考文献>日本舶用機関史編集委員会『帝国海軍機関史』

(鈴木淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関重忠」の解説

関重忠 せき-しげただ

1864*-1945 明治時代軍人
文久3年11月22日生まれ。関重麿(しげまろ)の長男。明治17年海軍機関科士官として渡英,グリニッジ海軍大学校などにまなぶ。海軍兵学校機関学科教官。日露戦争での戦艦「朝日」機関長をへて41年舞鶴鎮守府機関長。44年少将。昭和20年3月12日死去。83歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。海軍機関学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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