阿仏尼(読み)あぶつに

精選版 日本国語大辞典 「阿仏尼」の意味・読み・例文・類語

あぶつ‐に【阿仏尼】

鎌倉中期の女流歌人。平度繁(のりしげ)の養女。安嘉門院に仕え、安嘉門院四条ともいう。藤原為家の側室となり、冷泉為相、為守を産む。領地相続の訴訟のため鎌倉へ下ったときの紀行文十六夜日記」や、歌論「夜の鶴」「庭の訓」、日記うたたねの記」などがある。弘安六年(一二八三)没。

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デジタル大辞泉 「阿仏尼」の意味・読み・例文・類語

あぶつ‐に【阿仏尼】

[?~1283]鎌倉中期の女流歌人。平度繁たいらののりしげの養女。出家して阿仏尼、また北林禅尼とも。安嘉門院に仕え、安嘉門院四条ともいった。のち、藤原為家ふじわらのためいえの後妻となり、為相ためすけ・為守を産む。著「十六夜日記」「夜の鶴」「うたたねの記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿仏尼」の意味・わかりやすい解説

阿仏尼
あぶつに
(?―1283)

鎌倉後期の女流歌人。『十六夜(いざよい)日記』の著者。藤原為家(ためいえ)の側室、冷泉為相(れいぜいためすけ)の生母。実父母は不明、養父は平度繁(のりしげ)。安嘉門院(あんかもんいん)に仕えて越前(えちぜん)、右衛門佐(うえもんのすけ)、四条などと称した。青春時代、ある貴人に失恋して出奔出家したことが日記『うたたねの記』で知られる。その後別の愛人との間に2子をもうけ、のち奈良法華寺(ほっけじ)、松尾(まつのお)の慶政(けいせい)上人のもとなどに身を寄せた。1252年(建長4。30歳ぐらいか)ごろ為家と相知り、歌道を助けるとともに定覚(じょうがく)、為相、為守(ためもり)の3子をあげ、嵯峨(さが)に同棲(どうせい)した。播磨(はりま)国細川庄(兵庫県三木市細川町)の伝領と和歌文書の所有権をめぐって異腹の長子為氏と争い、自らの本居「持明院の北林」に御子左家(みこひだりけ)伝来の文書を運び移すような事件も起こした。為家没後、1279年(弘安2)細川庄相続訴訟のため鎌倉下向。その記録が『十六夜日記』である。判決を待たず弘安(こうあん)6年4月8日没。帰京して没したか、鎌倉で客死したかは不明で、墓は京都西八条大通寺と鎌倉英勝寺との双方にある。

 作品には『うたたねの記』『十六夜日記』のほか歌論書『夜の鶴(つる)』、願文『阿仏仮名諷誦(かなふじゅ)』、歌集『安嘉門院四条百首』『同五百首』があり、『続古今(しょくこきん)集』以下の勅撰(ちょくせん)集に入集(にっしゅう)する。『庭の訓(おしえ)』(一名『乳母(めのと)の文(ふみ)』)は真作か否か未詳。愛児為相を思うあまりのやや専横なふるまいは継子源承(げんしょう)の『源承和歌口伝(くでん)』に、為家室たるにふさわしい風雅で才気あふれる行動は『嵯峨のかよひ』(飛鳥井雅有(あすかいまさあり)著)に詳しい。古典に造詣(ぞうけい)深く、母性的で勝ち気な鎌倉女性の一典型である。

[岩佐美代子]

『簗瀬一雄編『校註阿仏尼全集』増補版(1981・風間書房)』『福田秀一著『阿仏尼』(『日本女流文学史 古代中世編』1969・同文書院・所収)』『次田香澄著『うたたね 全訳注』(講談社学術文庫)』


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朝日日本歴史人物事典 「阿仏尼」の解説

阿仏尼

没年:弘安6.4.8(1283.5.6)
生年:生年不詳
鎌倉中期の歌人。平度繁の娘で,安嘉門院に仕えて最初は越前,後に右衛門佐,四条と称し,出家して法名を阿仏。祖父繁雅は北白河院の後見であり,父度繁が後高倉院と北白河院との間に生まれた皇女安嘉門院に仕えたことから,姉たちと同じく安嘉門院に仕えた。最初の著作『うたたね』は安嘉門院のもとで成長した若きころの回想録であって,ある貴族との熱烈な恋や遠江国(静岡県)の浜松荘などに下ったことが記されている。やがて奈良の法華寺に身を寄せ,さらに京都の松尾の慶政上人の辺に住んでいたが,次いで藤原定家の娘大納言典侍のもとで『源氏物語』の書写を手伝ううちに歌人藤原為家との交渉が始まり,その側室となって嵯峨に住んで冷泉為相,為守らを生んだ。建治1(1275)年に為家が亡くなったことから出家,北林禅尼と称す。この間,為家が長男為氏に譲った播磨国(兵庫県)の細川荘や和歌,文書などを悔返して為相に譲与したことから,為家の死によって遺領相論が発生すると,為相のために弘安2(1279)年10月に鎌倉に下って極楽寺の近くの月影の谷に住む。そのときの紀行文が『十六夜日記』である。阿仏尼は鎌倉時代の女性の新しい生き方をよく示しており,また歌の家である冷泉家の基礎も築いた。前記の他に『夜の鶴』『仮名諷誦』の著がある。<参考文献>福田秀一『中世和歌史の研究』,五味文彦『武士と文士の中世史』

(五味文彦)

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百科事典マイペディア 「阿仏尼」の意味・わかりやすい解説

阿仏尼【あぶつに】

鎌倉時代の歌人。安嘉門院に仕えて四条と称し,のち藤原為家の側室となり為相(ためすけ)(冷泉(れいぜい)家の祖),為守を産む。為家の死後,嫡妻の子為氏二条家の祖)と所領の相続を争い,訴訟のため鎌倉へ下った。その紀行《十六夜日記》は代表作。《続拾遺集》以下の勅撰集にも入集し,《安嘉門院四条百首》もある。ほかに《うたたね》《乳母(めのと)の文》など。
→関連項目二条為氏

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿仏尼」の意味・わかりやすい解説

阿仏尼
あぶつに

[生]?
[没]弘安6(1283)
鎌倉時代中期~後期の女流歌人,文学者。 60歳前後で没。安嘉門院に仕え,越前,四条などといった。建長5 (1253) 年頃藤原為家の室となり,為相 (冷泉為相 ) ,為守を生んだ。康元1 (56) 年為家出家ののち尼となり,阿仏尼,北林禅尼などと称した。夫の死後播磨国細川の荘園の相続に関し長子為氏 (二条為氏 ) と争い訴訟のため弘安2 (79) 年鎌倉に下った。『十六夜日記 (いざよいにっき) 』はこのときの紀行日記。和歌は『続古今和歌集』以下の勅撰集に入集。『安嘉門院五百首』や歌論書『夜の鶴』がある。ほかに紀行『うたたねの記』,教訓書『庭の教』 (『めのとの文』) ,亡夫追善の『四条局仮名諷誦 (ふじゅ) 』などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「阿仏尼」の意味・わかりやすい解説

阿仏尼 (あぶつに)
生没年:?-1283(弘安6)

鎌倉時代の女性歌人。藤原定家の嫡男為家の側室となり為相(ためすけ)を生み,為氏の二条家に対抗して冷泉(れいぜい)家の基礎を築いた。勅撰集には安嘉門院右衛門佐,安嘉門院四条の名で《続拾遺集》以下に入集するが,実名は未詳。出家後,阿仏と呼ばれた。作品には《うたたね》《十六夜(いざよい)日記》《安嘉門院四条百首》などがあり,女性向けの教訓書《乳母(めのと)のふみ》,歌学書《夜の鶴》も阿仏尼の作と伝えられる。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「阿仏尼」の解説

阿仏尼
あぶつに

?~1283.4.8

鎌倉中期の歌人。女房名は安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)。実父母は不詳。平度繁(のりしげ)の養女。日記「うたたね」は若き日の失恋の顛末を記したもの。30歳頃藤原為家の側室となり,冷泉為相(れいぜいためすけ)らを生む。為家没後,播磨国細川荘の相続をめぐり,嫡妻の子為氏と争い,1279年(弘安2)訴訟のため鎌倉に赴く。その折の紀行と鎌倉滞在の記が「十六夜(いざよい)日記」である。訴訟の結果をみずに60余歳で鎌倉で没した(帰京後没したとする説もある)。「弘安百首」などに参加。関東十社に勝訴を祈願して奉納した「安嘉門院四条五百首」や「安嘉門院四条百首」などがある。歌論書に「夜の鶴」があり,為相にはじまる冷泉派歌学の礎を築いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿仏尼」の解説

阿仏尼 あぶつに

?-1283 鎌倉時代の歌人。
安嘉門院につかえ,のち藤原為家の側室となる。「十六夜(いざよい)日記」は為家の死後,実子冷泉為相(れいぜい-ためすけ)への遺領相続を鎌倉幕府にうったえにいったときの紀行。歌は「続古今和歌集」などにある。弘安(こうあん)6年4月8日死去。通称は右衛門佐,安嘉門院四条,北林禅尼など。著作はほかに「うたたね」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「阿仏尼」の解説

阿仏尼
あぶつに

1222ごろ〜83
鎌倉中期の女流歌人
藤原為家の後妻。『十六夜 (いざよい) 日記』の著者。冷泉 (れいぜい) 家の為相 (ためすけ) を生む。為家の嫡子為氏(先妻の子)と為相との間に所領の争いがあり,それが歌学における二条・京極・冷泉分立の一因となる。女子教育の書『乳母 (めのと) のふみ』も著した。

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世界大百科事典(旧版)内の阿仏尼の言及

【十六夜日記】より

…1巻。著者は藤原為家の側室阿仏尼(あぶつに)。為家没後,実子為相(ためすけ)と為家の嫡子為氏との間に播磨国細川荘をめぐる相続争いが起こり,その訴訟のため弘安2年(1279)阿仏尼が鎌倉へ旅立った際の日記。…

【源氏物語】より

…女子教育特にしつけやたしなみを教えるために,《源氏物語》の登場人物を引いてさとすのである。阿仏尼の《乳母(めのと)の文》のほか《乳母の草子》《身のかたみ》《竹馬抄》等があり,近世に入っても大部な成瀬維佐子(大高坂(おおたかさか)維佐)の《唐錦》がある。旧大名家などに多く伝えられる,いわゆる嫁入本の《源氏物語》も多くはその趣旨のものであろう。…

※「阿仏尼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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