阿部守太郎(読み)あべ・もりたろう

朝日日本歴史人物事典 「阿部守太郎」の解説

阿部守太郎

没年:大正2.9.6(1913)
生年明治5.11.10(1872.12.10)
明治大正期の外交官中津藩(大分県)藩士阿部源三郎の長男。中津中学,三高を経て,明治29(1896)年帝大法科大卒業,高等文官試験合格。30年外務書記官。34年在英公使館勤務。日露戦争後は在中国公使館勤務。小村寿太郎外相のもとで条約改正準備委員会委員を務めたのち内田康哉外相のもとで政務局長となる。満州(中国東北部),蒙古への勢力拡大を画策する軍部の動きを批判し,中国との親善,英露両国との協調を唱え,辛亥革命(1911)にも不干渉を主張した。第2革命(1913)における中国軍の反日行動に対する外交処置に憤慨した対外強硬論者に襲撃され死亡。

(酒田正敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿部守太郎」の解説

阿部守太郎 あべ-もりたろう

1872-1913 明治-大正時代の外交官。
明治5年11月10日生まれ。大蔵省にはいるが,外務省に転じ,参事官をへて明治38年一等書記官となり,清(しん)(中国)に駐在。45年政務局長となり,中国問題の処理にあたる。大正2年9月5日南京事件などの処理に不満の岡田満らに刺され,翌6日死去。42歳。大分県出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の阿部守太郎の言及

【阿部守太郎暗殺事件】より

…外務省政務局長阿部守太郎が1913年対中国強硬論者に暗殺された事件。阿部守太郎は清国在勤4年余をへて,1912年政務局長に就任。…

【南京事件】より

…その過程で山東省兗州(えんしゆう),湖北省漢口で,袁軍による日本将校拘禁事件がおき,ついで9月1日には南京で日本人3人が殺害され,日本人の家屋が略奪をうける事件がおきた。一連の事件について,時の山本権兵衛内閣の対華軟弱外交が非難され,9月5日には外務省阿部守太郎政務局長が暗殺された。牧野伸顕外相は9月10日山座円次郎駐華公使に対し,3事件に関し抗議するとともに,処罰,陳謝,賠償などの要求提出を訓令,13日,中国政府はそのすべてを承認すると回答し,一応の解決を見た。…

※「阿部守太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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