陽のあたる場所(読み)ひのあたるばしょ(英語表記)A Place in the Sun

改訂新版 世界大百科事典 「陽のあたる場所」の意味・わかりやすい解説

陽のあたる場所 (ひのあたるばしょ)
A Place in the Sun

1951年製作のアメリカ映画。ジョージ・スティーブンズ製作・監督作品で,1906年にニューヨーク州で起きた殺人事件とその裁判を題材にしたT.ドライサーの小説《アメリカの悲劇》(1925)の2度目の映画化である。最初の映画化は31年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督により行われ,原作と同じ題のまま〈ロマンティック・メロドラマ〉としてつくられたが,サミュエル・ホッフェンスタインの脚本を読んでその換骨奪胎ぶりに激怒したドライサーが,映画の公開を阻止しようとして法廷で争って敗れたといういきさつがある。ドライサーの死後6年,スティーブンズが再映画化しようとしたときも,パラマウント映画社の首脳は,当時の風潮からみて〈テーマが強烈〉すぎて,また〈非米的〉でもあり,興行的に失敗するのではないかと恐れたが,脚本のマイケル・ウィルソンとハリー・ブラウンは,パトリック・カーニーの舞台化の脚本もとりいれて脚色題名も《恋人たちThe Lovers》からさらに《陽のあたる場所》と変え,主人公の名まえもクライド・グリフィスからジョージ・イーストマンに変えて,やっとつくられることになった。

 スタンバーグの《アメリカの悲劇》と同じように,資本主義社会に対するドライサーの社会批判をすっぽりと欠いた映画化ではあったが,《ニューヨーク・タイムズ》などの評価は高く,またチャップリンは〈最高のアメリカ映画〉と激賞した。これに対して《ネーション》誌は〈去勢されたドライサー〉と評している。スティーブンズのアカデミー監督賞をはじめ,脚色賞,撮影(白黒)賞,編集賞を受賞したなかにあって,主演のモンゴメリー・クリフトMontgomery Clift(1920-66)は主演男優賞にノミネートされるにとどまったものの,この映画によって50年代の新しいヒーローの一人となった。
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デジタル大辞泉プラス 「陽のあたる場所」の解説

陽のあたる場所〔映画〕

1951年製作のアメリカ映画。原題《A Place in the Sun》。監督:ジョージ・スティーブンス、出演:モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタースほか。第24回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同監督賞、脚色賞、撮影賞(白黒)、衣裳デザイン賞(同)、編集賞、劇・喜劇映画音楽賞受賞。

陽のあたる場所〔ドラマ〕

日本テレビドラマ放映はフジテレビ系列(1994年1月~3月)。全11回。ヒューマンドラマ。脚本:吉田紀子。主題歌:江口洋介。出演:中村雅俊、裕木奈江、的場浩司ほか。

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世界大百科事典(旧版)内の陽のあたる場所の言及

【アメリカの悲劇】より

…物質万能主義のアメリカ社会で,貧しく,無知で,虚栄心に富む青年が破滅する悲劇をとりあげ,〈アメリカの夢〉の意味を追究し,アメリカ文明を糾弾したもので,アメリカ自然主義小説の最高傑作といわれる。26年ブロードウェーで上演され,31年にパラマウント社が映画化し,51年にもジョージ・スティーブンズ監督で《陽のあたる場所A Place in the Sun》という題名で映画化された。【井上 謙治】。…

【アメリカの悲劇】より

…物質万能主義のアメリカ社会で,貧しく,無知で,虚栄心に富む青年が破滅する悲劇をとりあげ,〈アメリカの夢〉の意味を追究し,アメリカ文明を糾弾したもので,アメリカ自然主義小説の最高傑作といわれる。26年ブロードウェーで上演され,31年にパラマウント社が映画化し,51年にもジョージ・スティーブンズ監督で《陽のあたる場所A Place in the Sun》という題名で映画化された。【井上 謙治】。…

【クリフト】より

…ネブラスカ州のオマハに生まれるが,不幸な結婚生活を送った母の執念で,子どものころから外国旅行を重ねてヨーロッパの〈教育〉を身につける。アマチュア劇団の子役として出発し,アルフレッド・ラントに師事してブロードウェーで認められたのち,《山河遥かなり》《赤い河》(ともに1948)でハリウッドの〈ニュースター〉となり,《女相続人》(1949),《陽のあたる場所》(1951),《地上より永遠に》(1953),《若き獅子たち》(1958)などで,価値観が変わった1950年代アメリカの観客にこたえる新しいタイプのヒーロー,いわゆる〈リベラル・ヒーロー〉を代表するスターの一人となる。その後,《荒れ狂う河》(1960),《荒馬と女》《ニュールンベルグ裁判》(ともに1961)などで俳優としての才能を高く評価されたが,スターをしばる契約をはじめとするハリウッドの伝統を無視する〈異端者〉でもあり,また麻薬,飲酒,同性愛をめぐるスキャンダルがたえずつきまとった。…

【スティーブンズ】より

…アメリカの映画監督。T.ドライサーの小説《アメリカの悲劇》の2度目の映画化でアカデミー監督賞を受賞した《陽のあたる場所》(1951),西部劇にホームドラマや恋愛映画の心情,心理を導入して〈大人の映画〉の風格を与えた名作《シェーン》(1953),E.ファーバーの大河小説の映画化で再度アカデミー監督賞に輝いた《ジャイアンツ》(1956)の〈アメリカ三部作〉によってハリウッドの巨匠監督として不動の地位を占め,1955年にはアカデミー協会の会長に選ばれた。旅回りの一座の俳優を両親に,カリフォルニア州オークランドに生まれ,カメラマンとして映画界に入り,ローレル=ハーディ喜劇(短編)のギャグマン,カメラマン,監督をへて,キャサリン・ヘプバーン主演のメロドラマ《乙女よ嘆くな》(1935)で監督としての力量を認められ,フレッド・アステア=ジンジャー・ロジャースのミュージカル《有頂天時代》(1936)で評判が高まり,インドを舞台にした冒険活劇《ガンガ・ディン》(1939)で決定的な名声を獲得した。…

※「陽のあたる場所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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