雄ノ山峠(読み)おのやまとうげ

日本歴史地名大系 「雄ノ山峠」の解説

雄ノ山峠
おのやまとうげ

[現在地名]和歌山市湯屋谷

葛城(和泉)山脈中、和泉国から紀伊国に抜ける中世熊野街道の峠。一帯の山を雄ノ山とよんだ。「日本後紀」延暦二三年(八〇四)一〇月一三日条には、桓武天皇の紀伊国行幸を記して「自雄山道、還日根行宮」とみえる。「台記」久安四年(一一四八)三月一八日条に「見吹上浜和歌浦、帰羽崎」、一九日条に「経雄山、着天王寺」とみえ、「御室御所高野山御参籠日記」久安五年五月五日条には「自新家宿起、越雄山、於填崎乗船」とあり、雄ノ山は紀泉を結ぶ交通の要地であった。「唹山」とも記され、「宇治関白高野山御参詣記」永承三年(一〇四八)一〇月一三日条には「午刻着御紀伊国市御借屋民部卿所領辺、唹山之南卅許町」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「雄ノ山峠」の意味・わかりやすい解説

雄ノ山峠
おのやまとうげ

和歌山県北西部、和歌山市にあり、和泉(いずみ)山脈を越える峠。標高184メートル。北へ山中川、南へ相谷(あいたに)川が流れる分水界であるが、紀泉国境つまり大阪・和歌山の府県境は峠よりも北側を通る。雄ノ山越(ごえ)熊野街道が通り、峠を挟んで北に中山王子跡、南に山口王子跡熊野権現(ごんげん)の末社)がある。1920年(大正9)国道に指定されたが、1930年(昭和5)ここに阪和線(現、JR)が開通、国道は孝子峠(きょうしとうげ)越えに変わった。阪和自動車道も通る。

[小池洋一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雄ノ山峠」の意味・わかりやすい解説

雄ノ山峠
おノやまとうげ

和歌山県北部,和泉山脈西部の峠。山中川と紀ノ川支流の湯屋谷川の分水界。標高 184m。中世には熊野参詣の,江戸時代には参勤交代路の峠で,峠道は 1920年から国道 26号線に指定。しかし国道は 30年孝子 (きょうし) 峠越えに変更された。現在は JR阪和線と阪和自動車道が峠の下をトンネルで越える。

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