雲南(読み)ウンナン(英語表記)Yúnnán

デジタル大辞泉 「雲南」の意味・読み・例文・類語

うんなん【雲南】[中国の省]

中国南部の省。省都は昆明こんめい。温暖な高原地帯で、稲作などが行われ、すず・銅や大理石を産する。ベトナムラオスミャンマーに接し、多民族が居住。てんユンナン

うんなん【雲南】[島根県の市]

島根県東部にある市。山間部では古くから、たたら製鉄が栄えた。平成16年(2004)11月大東町加茂町木次きすき町、三刀屋みとや町、吉田町掛合かけや町が合併して成立。人口4.2万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「雲南」の意味・読み・例文・類語

うんなん【雲南】

[一] 中国南部、雲貴高原の西南部を占める省。滇緬公路がミャンマーに通じる。省都、昆明(こんめい)。滇(てん)省。
[二] 中国、昆明の別名。
[三] 島根県北東部の地名。斐伊川中流域、および支流の三刀屋川流域を占める。平成一六年(二〇〇四)市制。

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改訂新版 世界大百科事典 「雲南」の意味・わかりやすい解説

雲南[市] (うんなん)

島根県東部の市。2004年11月掛合(かけや),加茂(かも),木次(きすき),大東(だいとう),三刀屋(みとや)の5町と吉田(よしだ)村が合体して成立した。人口4万1917(2010)。

雲南市南西部の旧町。旧飯石(いいし)郡所属。人口3905(2000)。東部を斐伊(ひい)川支流の三刀屋川,西部を神戸川支流の波多川が北流する南北に長い山村。三刀屋川沿いにある中心地の掛合は,古代には飯石郡の郡家が置かれた地であり,近世は松江藩領で,辺境守備の番所が置かれた。明治に入って郡役所が設置され,この地方の政治の中心地となった。名馬の産地で近世には掛合,波多に牛馬市が開かれていた。山地が多く,林業を中心に栗,シイタケの栽培が行われている。県立自然公園に含まれる竜頭ヶ滝,八重滝があり,町の南部にはふれあいの里奥出雲公園がある。町の中央部を南北に国道54号線が通じる。

雲南市北西端の旧町。旧大原郡所属。人口6737(2000)。南西は出雲市に接し,中央を斐伊川の支流赤川が西流して出雲市との境界付近で本川に合流する。赤川流域には多くの弥生遺跡や古墳があり,神原神社古墳からは景初3年(239)銘の三角縁神獣鏡が発見され,加茂岩倉遺跡からは多量の銅鐸が発見された。近世には木綿市,牛馬市が立ち,松江藩の奨励の下でニンジン栽培が盛んであった。赤川沿いはしばしば洪水の被害を受けていたが,1937年の改修により優良米の産地になった。酪農が行われ,近年はブドウ栽培が盛んで,北九州へ出荷されている。JR木次線,国道54号線が通じ,出雲市,松江市の住宅地となっている。

雲南市中部の旧町。旧大原郡所属。人口1万0079(2000)。斐伊川の中流域にあり,町域の大部分は斐伊川の東岸に位置する。雲南地方の中心地で,斐伊川と久野川の合流点にある中心地の木次は,斐伊川舟運の中継地として発展し,三日市や八日市の地名が残るように市場町として栄えた。江戸初期には紙市が立ち,雲南3郡で生産された紙を集散した。また天保年間(1830-44)に始まった木次千歯(せんば)の製造は明治の中ごろには最盛期を迎え,これら農具の行商が盛んに行われた。現在は米作養鶏,肉用牛の飼育が行われ,ブドウなどの果樹栽培に力を入れている。北部の丘陵地に木次工業団地が造成され,音響機器,金属などの工場が進出している。出雲湯村温泉がある。JR木次線,国道314号線が通じる。

雲南市北東部の旧町。旧大原郡所属。人口1万4607(2000)。松江市の南に接し,斐伊川の支流赤川の上流域を占める。中心集落はJR木次線の通る大東で,中世は大東荘に属し,近世は3・6の六斎市が開かれる市場町として栄えた。4月と8月には牛馬市が開かれ,木綿市も立った。また松江藩の事業としてヤクヨウニンジンの栽培が盛んで,藩の人参方役所出張所が置かれた。現在は養鶏,酪農,茶の栽培などが盛んである。阿用,川井は国内有数のモリブデンの埋蔵地で,大東,東山などの鉱山があったが,資源の枯渇と貿易自由化に伴い閉山した。赤川沿いに海潮(うしお)温泉がある。

雲南市西部の旧町。旧飯石郡所属。人口8561(2000)。斐伊川中流部の西岸に位置し,中央部を斐伊川の支流三刀屋川が北東へ流れ,町境で斐伊川に合流する。中心地の三刀屋は谷口集落で,鎌倉初期から16世紀後半まで三刀屋氏が城を構えた。また斐伊川舟運の終点でもあり,東岸の木次と並んで出雲地方南部の物資を集散した。1916年開通の簸上(ひかみ)鉄道(現,JR木次線)が木次を通ったため商業は衰退した。主産業である農業では肉牛の飼育,タバコやシイタケの栽培が盛んで,近年は水田でアムスメロンが栽培されている。1972年仁多,飯石,大原3郡の家畜市場を統合した雲南家畜市場が町内に設けられた。特産に斐伊川和紙がある。国道54号線が通る。

雲南市南部の旧村。旧飯石郡所属。人口2434(2000)。中国山地にある山村で,斐伊川の支流深野川,三刀屋川の支流吉田川が北流する。南は広島県に接し,県境に大万木(おおよろぎ)山(1218m)がある。吉田川中流にある中心集落の吉田は,中世以降たたら製鉄を経営した田部(たなべ)家とともに発展し,田部家は近世には松江藩の保護を受けて諸特権を付与されていた。洋鉄に押されて1923年に廃業したが,たたら炉を内部にもつ高殿(国の重要有形民俗資料)を中心に元小屋,米倉,炭小屋,長屋などの施設が保存されている。現在は畜産,養蚕,タバコやメロンの栽培が盛んで,隣の旧木次町にある湯村温泉の湯を利用してティラピアの養殖も行われている。
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旺文社世界史事典 三訂版 「雲南」の解説

雲南
うんなん
Yúnnán

ミャンマー(ビルマ)・ラオス・ヴェトナムに国境を接する中国南西端の省
漢人のほか,苗 (ミヤオ) ・猺 (ヤオ) ・モイ・ロロ族など少数民族が住む。漢代に益州郡が置かれ,後漢 (ごかん) ・蜀 (しよく) が経営を進めたが,唐代にはチベット−ビルマ系のロロ族が南詔を建て,宋代にはタイ人が大理国を建てて独立した。元のときに中国領として雲南行省が置かれ,昆明 (こんめい) に統治機関が置かれた。明・清代に漢人の移住がふえ,イスラーム系の土着民との摩擦が起きた。清末期には一時フランスの勢力範囲となり,ハイフォンから鉄道が敷設された。中華民国初期には反袁世凱運動の拠点の1つとなり,第3革命の発祥地となった。

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