雲照(読み)ウンショウ

デジタル大辞泉 「雲照」の意味・読み・例文・類語

うんしょう〔ウンセウ〕【雲照】

[1827~1909]真言宗の僧。出雲いずもの人。姓は渡辺明治初期の廃仏毀釈はいぶつきしゃくに反対して仏教復興に努め、真言宗の統一を図った。十善会・目白僧園などの創立者。著「大日本国教論」など。雲照律師

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精選版 日本国語大辞典 「雲照」の意味・読み・例文・類語

うんしょう ウンセウ【雲照】

幕末、明治の真言宗の僧。出雲の人。俗姓渡辺。律師。維新期の廃仏毀釈(きしゃく)に際して仏教の復興と刷新に献身した。主著「仏教大原理」「教育勅語義解」。文政一〇~明治四二年(一八二七‐一九〇九

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朝日日本歴史人物事典 「雲照」の解説

雲照

没年:明治42.4.13(1909)
生年:文政10.3.20(1827.4.15)
幕末から明治時代の真言宗の僧。釈雲照ともいう。出雲国神門郡(島根県出雲市)生まれ。高野山に登り密教教学と激烈な修行に精進。明治維新に伴う廃仏毀釈に遭遇し,戒律遵守を旗印に東西を奔走して仏教復興に邁進した。明治7(1874)年以降は東京を拠点に様々な活動を展開。同20年目白僧園に十善会を設立し,江戸後期に慈雲が提唱した戒律運動たる十善戒こそ近代日本の道徳たりうるとして,その普及に努めた。同23年に機関紙『十善宝窟』を,また同26年には女性教化のために『法の母』を発刊晩年は日露戦争における双方の戦死者の供養などで中国東北部,朝鮮をはじめ各地を巡錫した。著書は多数を数えるが,『大日本国教論』(1881)には国教の必要が欧米キリスト教国から指摘されたとの文言があり,国家神道の成立を考えるうえで注目される。

(正木晃)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雲照」の解説

雲照 うんしょう

1827-1909 江戸後期-明治時代の僧。
文政10年3月20日生まれ。天保(てんぽう)7年出家,高野山で真言密教をまなぶ。明治の廃仏に反対し,戒律主義による仏教の復興につとめた。明治20年目白僧園を設立。十善会,夫人正法会をおこし,「十善宝窟」「法の母」を発刊した。32年仁和寺(にんなじ)門跡(もんぜき)。明治42年4月13日死去。83歳。出雲(いずも)(島根県)出身。俗姓は渡辺。字(あざな)は大雄。著作に「仏教大意」「十善大意」など。

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