雲谷派(読み)ウンコクハ

デジタル大辞泉 「雲谷派」の意味・読み・例文・類語

うんこく‐は【雲谷派】

桃山時代雪舟正系を自称した、雲谷等顔の流れを継ぐ日本画の一流派

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「雲谷派」の意味・読み・例文・類語

うんこく‐は【雲谷派】

〘名〙 日本画の一流派。画僧雪舟は晩年周防国(山口県山口雲谷庵に住み、雲谷または雲谷軒と号したが、雲谷等顔が雲谷庵を再興し、雪舟の画系を標榜して創始したもの。保守的だが豪放で知られ、中国地方で活躍した。雲谷流。
※画乗要略(1832)一「等顔父子之後、世称雲谷派者〈略〉乏渾厚之気、去雪舟遠矣」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「雲谷派」の意味・わかりやすい解説

雲谷派 (うんこくは)

桃山江戸時代画派雲谷等顔開祖とし,おもに中国地方で活躍した漢画の流派。等顔は毛利輝元に仕えたが,1604年(慶長9),国替で毛利家が萩に居城を移したとき,等顔の長子等屋は広島に残り,福島正則に仕えたのに対し,次男等益(?-1639ころ)は父に従って萩に移り,18年,等顔の没後,その後を継いだ。以降,代々萩藩お抱え絵師の立場を保持したが,等屋の子孫もおのおの萩藩に画師として取りたてられることがあり,これらを雲谷派と総称する。画風は等顔以来の謹厳水墨山水本領とし,彩色の花鳥図も多い。雪舟の直系をもって任じ,雪舟画の模写や研究も盛んに行ったので,近世諸画派に比べ,古格と幽暗を保ち,武家好みの気骨静謐な緊迫感に見るべきものがある。江戸中期以降に及ぶ多数の遺作例が残るが,やや旧套・形式化の批判もある。主な作品は等益《山水図屛風》,《雪舟等楊像》(常栄寺),等爾模《山水図巻(雪舟)》,等璠《花鳥図屛風》など。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「雲谷派」の意味・わかりやすい解説

雲谷派
うんこくは

桃山時代の雲谷等顔(とうがん)を祖とし、江戸末期に至るまで300年の伝統を誇った画派。等顔が毛利(もうり)家の庇護(ひご)のもと雪舟(せっしゅう)の雲谷庵(あん)を再興、代々雪舟正系を標榜(ひょうぼう)したためこの名がある。等顔のあとは、長子等屋(とうおく)が福島正則(ふくしままさのり)に仕えたが早世し、次子の等益(とうえき)が本家を継承した。以後数家に分かれ、絵師として毛利家に仕えた。西国の地方画派として萩(はぎ)を中心に活躍し、現在も同市を中心に遺作が多いが、等益やその子等與(とうよ)、等爾(とうじ)などは中央画壇にも進出、大徳寺や東福寺に作品を残し、また禁裏の襖絵(ふすまえ)制作にも参加した記録がある。雪舟様(よう)を忠実に保守した山水図や花鳥図に優れた作がみられる。

[榊原 悟]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「雲谷派」の解説

雲谷派
うんこくは

安土桃山・江戸時代の水墨画の一流派
雲谷等顔を始祖とし,雪舟様式を継承。等顔の長男の系統は山口に残り,2男の系統は毛利氏の絵師となった。ともに保守的な画派。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雲谷派」の意味・わかりやすい解説

雲谷派
うんこくは

雲谷等顔」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android