霊友会(読み)れいゆうかい

精選版 日本国語大辞典 「霊友会」の意味・読み・例文・類語

れいゆう‐かい レイイウクヮイ【霊友会】

法華信仰に立つ宗教団体の一つ。大正一二年(一九二三)、久保角太郎が若月チセ・戸次貞雄と共に創立。のち立ち消えとなり、同一四年に久保角太郎・小谷安吉・小谷喜美らで再発足先祖供養重きをおく。本尊は「南無妙法蓮華経」の曼荼羅

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デジタル大辞泉 「霊友会」の意味・読み・例文・類語

れいゆう‐かい〔レイイウクワイ〕【霊友会】

日蓮宗系教団の一。大正8年(1919)久保角太郎を中心に発足、同14年小谷喜美と日本霊友会を設立、昭和24年(1949)宗教法人となった。孝道教団立正佼成会などが独立。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「霊友会」の意味・わかりやすい解説

霊友会
れいゆうかい

昭和初期、久保角太郎(かくたろう)と義姉小谷喜美(こたにきみ)とが在家仏教主義を唱えて開いた法華(ほっけ)系新宗教。教義は先祖供養と法華信仰との結合にあるが、信仰の基軸は祖霊崇拝で、『法華経(ほけきょう)』はそれを権威づけ、霊界の存在を保証する位置づけにある。夫婦双方の先祖代々を無限にさかのぼれば血統が無限に交錯して万霊を供養することになるとして「総戒名(そうかいみょう)」と、判明する限りの有縁(うえん)の戒名を記した「霊鑑(れいかん)」とを仏壇に祀(まつ)って唱題読経する。「法座」とよぶ小集団サークル形式の身の上相談、信仰指導を通して、先祖供養こそが悪い因縁(いんねん)を断ち切って解脱(げだつ)に至る道と説いて教勢が広がった。しかし、会長小谷の行者(ぎょうじゃ)的性格が強かっただけに、1935年(昭和10)ごろから分裂の機運が生じ、数年間に孝道(こうどう)教団(岡野正道(しょうどう))、立正佼成(りっしょうこうせい)会(庭野日敬(にわのにっきょう)、長沼妙佼(ながぬまみょうこう))など4教団が独立した。久保病死のあと小谷の捨身(しゃしん)の「お導き」で第二次世界大戦後は教勢を伸ばした反面、1949年(昭和24)の脱税、金塊隠匿、麻薬事件を契機に妙智会(みょうちかい)、仏所護念会(ぶっしょごねんかい)、法師会などが独立し、1953年の赤い羽根共同募金の横領事件などで、計11教団が分派独立した。小谷は事件の含みもあって東京虎ノ門(とらのもん)に久保講堂を建てて社会事業会館に寄付する一方、釈迦(しゃか)殿、伊豆(いず)の弥勒(みろく)山などを建立して教団組織化の基盤を築いた。1971年、第2代会長に久保継成(つぐなり)(1936― )が就任、和製英語の「いんなあとりっぷ」Inner Trip(人間の心に帰ろう)を標語に青少年を対象とする布教を展開した。また、社会活動にも力を注ぎ、福祉活動としては霊友会福祉センター、日本精神科学研究所をつくり、学校法人明法学院中・高等学校、麻布台(あざぶだい)学校教育研究所、財団法人インナートリップ国際交流協会、インナートリップ青少年センターなどを通して教育活動を行い、1996年(平成8)には国際仏教学大学院大学を創設した。本部は東京都港区麻布台。2013年(平成25)、末吉将祠(すえよしまさはる)(1949― )が第5代会長に就任した。教会数5、布教所数80、その他2785、教師数2785、信者数136万9050(『宗教年鑑』平成26年版)。

[藤井正雄]

『久保継成編『小谷喜美抄・天の音楽』(1972・佛乃世界社)』『久保継成著『在家主義仏教のすすめ――迷妄の現代を生きるために』(1975・いんなあとりっぷ社)』『水野泰治著『霊友会』(1985・講談社)』『霊友会史編纂委員会編『霊友会資料1―5』(1988・霊友会)』『久保克児著『生かしあっていのち――私のインナートリップ』(1990・いんなあとりっぷ社)』『霊友会史編纂委員会編『霊友会史Ⅰ』上(1992・霊友会)』『霊友会史編纂委員会編『霊友会史Ⅰ』下(1996・霊友会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「霊友会」の意味・わかりやすい解説

霊友会 (れいゆうかい)

久保角太郎(1892-1944)と小谷喜美が中心となって創立した在家主義仏教団。久保は,法華行者西田俊蔵の説く万霊供養の教えにひかれ,1919年霊の友会を創設,六親眷属たる家の先祖供養として説いて布教し,25年兄小谷安吉,その妻喜美と大日本霊友会を設立,喜美が会長に就任した。教義は法華信仰と先祖供養を結合したもので,夫と妻両家代々の先祖に総戒名をあたえ,本部と信者の家にまつり供養した。信者は祖先万霊をまつり,先祖と家内一同の懺悔滅罪によって悪い因縁を切り,霊の加護で家族と国家の幸福と安康が得られるとした。第2次大戦中,東京を中心に発展,孝道教団や立正佼成会の創立者が分立したように,戦後の新宗教の母体ともなった。戦後は社会事業に尽力し,厚生省の意をふまえた奉仕活動に従事した。58年東京虎ノ門に久保講堂を建設して社会事業会館に寄付し,63年明法学院創立,64年伊豆に〈昭和の戒壇〉弥勒山を建立した。71年第2代会長に久保継成が就任し,〈いんなあ・とりっぷ〉(人間の心にかえろう)を標語にかかげて青年を対象に布教を展開。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「霊友会」の意味・わかりやすい解説

霊友会
れいゆうかい

法華系の新宗教。 1923年宮内省出入りの建築士,久保角太郎が同じ法華信者で,シャーマン的性格をもった若月チセ,職人戸次貞雄とともにつくった霊友会をもとに,24年久保が実兄の小谷安吉,その妻喜美と発足させたのに始る。 30年小谷喜美が会長,久保が理事長となって布教を進め,37年東京都港区麻布飯倉町に本部をつくり,一般層に進出したが,のち立正佼成会など4教団が分立し,さらに博愛同志会,妙智会など 11教団に分裂してやや停滞した。その間 46年には宗教法人となり,49年霊友会教団となった。『法華経』の奥義とする祖先供養を行うことをおもな目的とし,本尊は「南無妙法蓮華経」の曼荼羅を中央にして,過去帳を置き,御題目を唱え,法華三部経を読む。『南無妙法蓮華経-朝夕のおつとめ』を聖典とし,毎月2回本部で読経,供養し,会員の先祖供養の実践から得た体験談や入信の動機などを話合う。機関誌に月刊『霊友会報』『明法』『いんなあ・とりっぷ』がある。公称信徒数約 250万人 (1996) 。

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百科事典マイペディア 「霊友会」の意味・わかりやすい解説

霊友会【れいゆうかい】

日蓮宗系の新宗教教団。1923年法華経信者の久保角太郎(かくたろう)と行者小谷喜美(きみ)が中心となって発会。1926年再発足し,久保が教理と教団の組織に当たり,小谷は神がかりして〈おかげ〉を与えた。先祖供養を重んじ病気治療を主としたが,のち〈法座〉と呼ぶ一種のサークル活動の形で信仰指導を行い,昭和初年〜第2次大戦中に急激に発展。1935年に孝道(こうどう)教団が分離し,次いで立正佼成会(りっしょうこうせいかい)なども独立した。本部は東京都港区麻布台。
→関連項目孝道教団日蓮宗

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世界大百科事典(旧版)内の霊友会の言及

【小谷喜美】より

…宗教法人霊友会初代会長。神奈川県三浦に生まれ,1925年に霊友会の教祖となる久保角太郎の実兄小谷安吉と結婚。…

【妙智会】より

…開祖は宮本ミツ(1900‐84)。宮本は久保角太郎,小谷喜美の主宰していた霊友会に属していたが,1950年脱会して妙智会を創立した。《法華経》《無量義経》《観普賢経》の法華三部経をよりどころとし,母体であった霊友会の教義や儀式を継承する。…

【立正佼成会】より

…1938年庭野日敬(につきよう)を中心に創立。庭野はそれまで大日本霊友会の会員であったから,その先祖の成仏と人格の完成を願う信仰を受けつぎながら,《法華経》への帰依を鮮明にすることを主張して出発した。創立時の名は大日本立正交成会で,庭野は若かったために会長に村山日襄を推したが,実際の活動は庭野と長沼妙佼(1889‐1957)が支えた。…

※「霊友会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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