霞ヶ浦(読み)カスミガウラ

デジタル大辞泉 「霞ヶ浦」の意味・読み・例文・類語

かすみ‐が‐うら【霞ヶ浦】

茨城県南部の海跡湖。面積167.6平方キロメートルで、琵琶湖に次ぐ。富栄養湖ワカサギシラウオなどの魚類が多い。

かすみがうら[茨城県の市]

茨城県中南部、霞ヶ浦西岸にある市。レンコンの生産、ナシ・ブドウなどの果樹栽培が盛ん。平成17年(2005)3月に霞ヶ浦町千代田町が合併して成立。人口4.4万(2010)。

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百科事典マイペディア 「霞ヶ浦」の意味・わかりやすい解説

霞ヶ浦【かすみがうら】

茨城県南部の湖。西浦ともいい,標高0.2m,面積168.22km2(琵琶湖に次ぎ日本第2),最深7.3m。北に高浜入,西に土浦入と呼ぶ入江があり,桜川,小野川,恋瀬川などが流入,南東端の北利根川により利根川へ排水する。ほぼ淡水の富栄養湖で,ワカサギ,シラウオ,コイなどが漁獲されるが水質汚濁が進み不振。中世には内陸水路として重要な位置にあり,海夫の根拠地となっていた。近世,浦の漁民の自治組織として霞ヶ浦四十八津があり,水戸藩に抵抗している。明治以後,ワカサギの帆引船が用いられ,浦の風物となる。沿岸に土浦,高浜(石岡市),麻生,牛堀などの集落が発達する。大部分が水郷筑波国定公園に含まれる。広義の霞ヶ浦は北浦も含む。
→関連項目東[町]麻生[町]阿見[町]石岡[市]茨城[県]牛堀[町]江戸崎[町]小川[町]御留川霞ヶ浦[町]霞ヶ浦四十八津関東平野水郷筑波国定公園玉造[町]土浦[市]土浦藩

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改訂新版 世界大百科事典 「霞ヶ浦」の意味・わかりやすい解説

霞ヶ浦 (かすみがうら)

茨城県南東部,利根川下流域に位置する海跡湖。広義には北浦を含めた呼称で,北浦に対して西浦とも称する。面積167.6km2は琵琶湖につぎ日本第2位。最大水深7m,湖面標高0m。淡水湖で水郷筑波国定公園の中心をなす。名称は《常陸国風土記》の香澄里(霞郷),《和名抄》の香澄郷に由来する。Y字状の湖面形をなし,北西側を土浦入,北側を高浜入とよび,桜川,恋瀬川がそれぞれ流入する。南西部では小野川が流入,南東端では西から新利根川が入り,利根川へは横利根川,常陸利根川をもって通じる。古代は北浦,外浪逆浦(そとなさかうら)を含んだ銚子方向に開いた入江で,中世には関東平野内部への交通路として利用され,また入江の奥は高浜(石岡市)をはじめ,物資集散の港として栄えていたが,江戸初期の利根川東遷の影響をうけて東よりで堆積作用が盛んになり,水域は縮小し,淡水化が進んで,現状に至った。昭和初期以降,干拓が沿岸各地で行われ,開田が進んだ。底質は軟泥で砂や礫(れき)は少なく,富栄養湖の典型である。40種類をこえる魚類が生息し,ワカサギ,シラウオ,エビ,フナなどが多い。明治期開発の帆引網によるワカサギ漁は観光用に北浦で保存される程度で,1968年以来,トロール漁法にかわり,つくだ煮などに加工される。北東岸を中心に,湖面にコイ養殖が発達している。

 鹿島臨海工業地域の建設に伴う工業用水確保をはかるため,沿岸水田の塩害防止もかねた常陸川水門が1963年に建設されてからは,排水口遮断による湖沼の溜池化が進行した。生活雑排水の流入,湖岸周辺の台地に卓越する養豚業に起因する屎尿たれ流し,湖面を利用する養殖などの影響が湖水滞留と水質汚濁をひきおこし,近年深刻な状況を呈している。夏季高温時には,湖面一帯にアオコを発生させ,魚類生息へのマイナス要因となるほか,悪臭を伴い,沿岸市町村での上水道用水取水の障害となっている。こうした事情にもかかわらず,首都圏内に位置する貯水量豊富な湖沼としての霞ヶ浦への期待は大きい。都市用水,農業用水供給源を霞ヶ浦に求める複数の計画があるだけに,水質保全が茨城県政の重要課題とされている。利水面からの活用促進策としては,県西部地域の市町村への上水道・工業・農業用水供給を目的とする霞ヶ浦用水事業が1991年完成し,湖水のポンプアップによる用水の安定供給が行われるようになった。明治期から昭和初めまでは外輪蒸気船が貨客を輸送した水上交通は,地域の発展に大きく貢献した。鉄道交通が盛んになり,観光客輸送に重点を移してからも水上交通は定期運航が続けられたが,第2次世界大戦後は沿岸道路が普及,1975年に廃止。
執筆者:

霞ヶ浦(旧町) (かすみがうら)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「霞ヶ浦」の意味・わかりやすい解説

霞ヶ浦
かすみがうら

茨城県南部にある日本第2の湖。東方にある北浦に対して西浦ともいう。面積 167.6km2,周囲 120km,最大水深 7m,透明度は 0.6m。平均水深 3.4mの浅い富栄養湖。約 1000年前までは流海 (ながれうみ) といわれる大きな入江の一部であった。その後鬼怒川,小貝川,次いで利根川などの土砂の堆積が進み湖水化が進んだ。江戸時代には水運が盛んで,湖岸の土浦,高浜,玉造,麻生,牛堀,江戸崎などは港町として繁栄。ワカサギ,シラウオ,エビ,ウナギ,コイ,ハゼなどの魚類が多く,内水面漁業が盛んであった。ワカサギ漁業で,霞ヶ浦の風物詩として知られた帆引網漁法は,観光用としてわずかに残るのみとなっている。南岸では第2次世界大戦中から戦後にかけて干拓地が次々に開かれ,沿岸部の開発により,湖水の汚染が問題となっている。湖周辺は水郷筑波国定公園に属する。

霞ヶ浦
かすみがうら

茨城県中南部,かすみがうら市南東部の旧町域。霞ヶ浦に半島状に突き出した台地上に位置する。 1997年町制がしかれ,出島村から霞ヶ浦町名に改称。 2005年千代田町と合体してかすみがうら市となった。米作,漁業が中心で,湖岸はレンコンの産地。長禅寺などの古刹が多い。国の重要文化財に椎名家住宅がある。 1987年に霞ヶ浦大橋が開通し,郷土資料館,水族館なども開館した。

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事典・日本の観光資源 「霞ヶ浦」の解説

霞ヶ浦

(茨城県)
日本百景」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の霞ヶ浦の言及

【茨城[県]】より

…1871年(明治4)廃藩置県をへて,茨城,新治(にいはり),印旛(いんば),木更津の4県に統合され,後2者が合併してできた千葉県の一部と新治県のうち常陸6郡を併せて,75年ほぼ現在の県域が定まった。下総国常陸国
[広大な台地と豊富な湖沼・河川]
 県内の地形は北部の山地,中央部から南部,西部にかけての関東平野北東部にあたる広大な台地,南東部の霞ヶ浦北浦と利根川およびその支流に沿って樹枝状にのびる低地に三分される。県北地方では阿武隈高地に属する多賀山地,八溝山地が広い面積を占め,また筑波山地が半島状に突出して常陸台地常総台地を分けている。…

【御留川】より

…漁民の自由な立入りは禁止された。例えば,霞ヶ浦南東部には江戸初期,幕府の箕和田御留川が設定され,さらに1625年(寛永2)下玉里村の土豪鈴木氏の申請により,〈湖は入会〉の原則を固守する霞ヶ浦四十八津の抵抗を押し切って,水戸藩は湖の北部高浜入を玉里御留川としている。鈴木氏は御川守となり,当初は直営の大網を引いたが,83年(天和3)以降,江戸の問屋,霞ヶ浦周辺の漁民の請負となり,入札によって運上人を定め,運上金を上納させた。…

※「霞ヶ浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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