青木夙夜(読み)あおき・しゅくや

朝日日本歴史人物事典 「青木夙夜」の解説

青木夙夜

没年享和2.10.23(1802.11.18)
生年:生年不詳
江戸中期の南画家。名は浚(俊)明。通称右衛門。字は大初,のち夙夜。春塘,八岳と号した。馬韓の余璋王の末裔といい,余姓を名乗った。韓天寿従兄弟。京都の人。天寿を介して早くから池大雅師事。師を敬慕すること篤く,天明4(1784)年玉瀾(大雅の妻)没後,大雅の遺作・遺品の一部を処分して,京都東山双林寺境内に大雅堂を建立。田能村竹田著『山中人饒舌』によれば,以後十数年間,大雅堂2世と称して堂を守り,画作にふけった。大雅作品の鑑定に詳しく,また忠実な模写にも努めたが,自らの画風はまじめで穏和である。寛政12(1800)年,大雅25回忌を主催。晩年は伊勢(三重県)へ移住し,松坂で没した。

(武田光一)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青木夙夜」の意味・わかりやすい解説

青木夙夜
あおきしゅくや

[生]?
[没]享和2(1802).10.23. 伊勢
江戸時代中・後期の南画家。名は俊 (浚) 明,通称俊蔵のち庄右衛門。字は大初のち夙夜。号は春塘,八岳。書家韓天寿のいとこで,韓国の余璋王の後裔を自称,余夙夜ともいう。宝暦頃から池大雅に師事し,大雅の妻玉瀾の没後は大雅堂に居住。主要作品『楼閣山水図』 (1802) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木夙夜」の解説

青木夙夜 あおき-しゅくや

?-1802 江戸時代中期-後期の画家。
京都の人。韓(かん)天寿の従兄弟(いとこ)といわれ,余章王の後裔と名のった。池大雅にまなび,大雅の没後,大雅堂2代と称した。作風は師とことなり,細密な描写であった。享和2年10月23日死去。名は浚(俊)明。通称は俊蔵,庄(荘)右衛門。号は春塘,八岳など。

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