音楽学校(読み)おんがくがっこう

精選版 日本国語大辞典 「音楽学校」の意味・読み・例文・類語

おんがく‐がっこう ‥ガクカウ【音楽学校】

〘名〙 音楽に関する理論・技術を教え、音楽家の養成を目的とする学校。
※英政如何(1868)九「文法学校及び音楽学校の附属する事あり」

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改訂新版 世界大百科事典 「音楽学校」の意味・わかりやすい解説

音楽学校 (おんがくがっこう)

音楽の演奏,理論,作曲,教育,音楽学などを教育,研究するための社会的機関をいう。その源流は,4世紀に教皇シルウェステル1世によりローマ教会用の聖歌要員養成機関として設立されたスコラ・カントルム(聖歌学校)にまでさかのぼることができるが,近代的な意味での音楽学校の元祖は,ベネチアの〈オスペダーレospedale(病院)〉であるとされている。すなわち,病院の付属機関として,ピエタ慈善院Ospedale della Pietà(1346)などが設立され,音楽の才能のある女子に対して教育が行われたのである。一方,〈コンセルバトーリオconservatorio〉はイタリア語のコンセルバーレconservare(保存する,保護する)から来たもので,貧しい男子の孤児院で音楽教育を施すための機関として,ナポリにコンセルバトーリオ・サンタ・マリア・ディ・ロレートConservatorio Santa Maria di Loreto(1537)が初めて設立された。こうして,17,18世紀のイタリアのおもだった作曲家はほとんどすべてこれらの機関の生徒や先生だったのである。日本では雅楽寮(701)が初めての組織的・意図的な音楽・舞踊の教習を行ったが,その対象は特定の家系に属する子弟に限定されていた。

 こうした外的条件(親がいないこと,特定の家系に属することなど)に関係なく,純粋に音楽の能力や意欲をもつ者に対して広く門戸を開いたのがフランスのパリ音楽院(1795)であり,当初から高度の専門教育機関を目指している。今日各国に存在する音楽学校は,このパリ音楽院の性格と内容に影響を受けて発展してきたものである。次に今日各国のおもだった音楽学校を挙げておこう。

アメリカでは,最も高度な音楽教育は,ほとんどすべての総合大学や単科大学で行われている。単独の音楽学校としては,ピーボディ音楽院(1857創立,ボルティモア),ニューイングランド音楽院(1867,ボストン),ジュリアード音楽学校(1905,ニューヨーク),カーティス音楽学校(1924,フィラデルフィア)など。イギリスでは,王立音楽アカデミー(1822),王立音楽大学(1883),トリニティ音楽大学(1872)など。

 ヨーロッパ大陸の諸国では,マルティーニ音楽院(1804,ボローニャ),ケルビーニ音楽院(1811,フィレンツェ),ウィーン音楽アカデミー(1817),ザルツブルク・モーツァルテウム(1880),ベルリン高等音楽学校(1869),プラハ音楽院(1811),ライプチヒ音楽院(1843),ブリュッセル音楽院(1813),リムスキー・コルサコフ記念レニングラード音楽院(1862。現在は,サンクト・ペテルブルグ音楽院),チャイコフスキー記念モスクワ音楽院(1866)などがある。
執筆者:

今日のアジア・アフリカ諸国の音楽学校は,ほとんどが20世紀に入ってから西洋の近代文明・学校教育制度を採用した結果として生まれた。したがって,伝統音楽と並行して西洋音楽の学習が行われていることが多く,なかには日本やトルコのように,従来ほとんど洋楽中心の音楽教育機関となっていた場合も少なくない。中国では北京の中央音楽学院(1950)や上海音楽学院(1920年代)で洋楽を導入しつつ,新しい中国民族音楽の確立を目ざして少数精鋭の音楽教育に専念している。日本の洋楽教育と大きく異なる点は,民族楽器を用いながらこれを洋楽器風に改良し,洋楽的展開を試みていることである。朝鮮民主主義人民共和国でも同じ路線を採用し,この行き方をいっそう徹底しており,古来の伝承音楽は伝統的な様式では教えられていない。韓国では洋楽の導入と並行して伝承音楽の教育が一般的に盛んで,ソウル大学校の学部の一つである音楽大学では,洋楽と並んで,国楽の実技と音楽学的研究が併せてすすめられている。またソウルの国立国楽院(1948)はもっぱら韓国の伝統的な楽舞の保存・伝承を目的として創設されたが,その中に国楽士養成所(中学科3年,高等科3年)をもち,これが伝承音楽の音楽学校として機能している。

 インドでは古来グルー・シーシャ(教師資格相承)の制度のもとに音楽の伝承が行われてきたが,近代的な音楽学校として,ラクナウのバトカンデ・ヒンドゥスターニー音楽学校,ベナレス(ワーラーナシー)・ヒンドゥー大学の音楽学校,マドラス(現,チェンナイ)のセントラル・カルナータカ音楽学校,そしてマドラス大学の音楽学部などが挙げられる。いずれもインド古典音楽の実践と理論が教授されているが,西洋音楽の学習は最小限度にとどまっている。インドネシアでは,ジャワ,バリ,スンダ楽舞の中心地にそれぞれコンセルバトーリ(KOKARと略称,近年SMKIと改称。中学・高校のレベルとアカデミア(ASKI/ASTIと略称。大学レベル))が置かれ,ガムランを中心とする伝統的な音楽・舞踊およびワヤン(影絵芝居)の実技が教授されている。ここでは洋楽の教授はほとんど行われていない。西アジアでは1920年代から30年代にかけてヨーロッパの音楽学校をモデルにした音楽学校がテヘランイスタンブール,アンカラ,カイロの各地に創設されたが,当初はほとんどが洋楽の教授を中心としたものであった。1940年代以後,イラク,シリア,チュニジア,アルジェリア,モロッコなどアラブ諸国にコンセルバトアールに類するものが設立されるようになったが,これらの国々で,伝統的なアラブ音楽が併せて教授されるようになったのは1960年代以後のことである。
執筆者:

1879年(明治12)文部省内に〈音楽取調掛〉が設置され,《小学唱歌集》の編集とともに教育者の養成を開始した。これが87年東京音楽学校(のちの東京芸術大学)に発展,洋楽中心の教員および専門家養成機関となった。なお,昭和に入ると謡曲,箏曲,長唄をはじめとして,邦楽の教育も行われるようになった。私立の音楽学校は,女子音楽学校(1903。27年より日本音楽学校),大阪女子音楽学校(1906。現在の相愛大学音楽学部),東洋音楽学校(1907。現在の東京音楽大学)と設立が続いた。このほか,現在,公立に京都市立芸術大学音楽学部(1952),愛知県立芸術大学音楽学部(1968)など。私立では,大阪音楽大学(1915),国立音楽大学(1926),武蔵野音楽大学(1929),桐朋学園大学音楽学部(1952)など多数がある。

 明治以前の音楽伝承に組織的に携わったものとして,家元や盲人の当道などがある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「音楽学校」の意味・わかりやすい解説

音楽学校
おんがくがっこう
conservatory 英語
conservatoire フランス語

音楽の教育・訓練を目ざす学校。国立、公立、私立などさまざまな形態があり、教育は通常鍵盤(けんばん)楽器、管・弦・打楽器、邦楽器、理論、作曲、音楽学などの科のすべてないし一部分のコースに分かれて行なわれる。

 欧米語で音楽学校、音楽院をさすコンサーベトリー、コンセルバトアールなどの語は、元来、孤児を収容する慈善施設に対して用いられていたが、とくにイタリアでは音楽の才能をもつ孤児に音楽教育を行ったため、のちにこのことばが音楽学校を意味するようになった。この種の音楽教育施設の最古のものは、ベネチアのオスペダーレ・ディ・メンディカンティ(1262設立)である。17、18世紀のイタリアの音楽家のなかには、この種の施設の教師であった者も少なくない。

 今日の音楽学校の基礎は、フランス革命後に、市民の音楽教育と軍楽の育成を兼ねて各地に設立された学校である。しかし、しだいに軍楽の占める位置は後退した。1784年設立の歌唱学校をもとに1795年に設立されたパリ音楽院は、近代の音楽学校中最古の歴史を誇る。イギリスではロンドンにある王立音楽院が最古(1822設立)で、ドイツではベルリン高等音楽学校(1850)が、その歴史も含め今日もっとも重要な音楽学校となっている。そのほか世界的に有名な主要音楽学校には、ウィーン音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院(オーストリア)、ミラノ・ベルディ音楽院、ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院(イタリア)、ブリュッセル王立音楽院(ベルギー)、モスクワ・チャイコフスキー音楽院(ロシア連邦)、ニューヨークのジュリアード音楽学校、ボストンのニュー・イングランド音楽学校(アメリカ)などがある。日本では、1879年(明治12)文部省内に設置された音楽取調掛(とりしらべがかり)を土台にした東京音楽学校(1887設立。現在の東京芸術大学音楽学部の前身)が最初のもので、今日では各地に音楽大学がある。アメリカでは、音楽院のほかに実技教育を行う音楽学部をもつ総合大学も多い。

[美山良夫]


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百科事典マイペディア 「音楽学校」の意味・わかりやすい解説

音楽学校【おんがくがっこう】

音楽の演奏・作曲・理論などを教育,研究するための機関。英語のconservatory,イタリア語のconservatorioなど保護施設の意味をもつ言葉を音楽学校に当てているのは,16世紀中ごろからイタリアの孤児院で音楽教育が行われたことに由来する。出身階級や特殊な条件によらず入学できる近代的な音楽学校は,フランス革命時代にできたパリ音学院が初めで,以後これがドイツやイタリアに影響を与えた。第2次大戦後は大学や大学院の形になった音楽教育機関が増加している。日本では1879年文部省内に設けられた音楽取調掛が1887年に東京音楽学校(現東京芸術大学)に改組されたのが最初。

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世界大百科事典(旧版)内の音楽学校の言及

【東京音楽学校】より

…1年の予科の後,2年制の師範科,3年制の本科のいずれかの課程に進学させる方式をとった。1886年,菊池大麓,外山正一,穂積陳重ら当時の代表的知識人8人の連署により文相森有礼に提出された〈音楽学校設立ノ儀ニ付建議〉が,設立への有力な刺激となった。88年,ウィーンからオルガニスト,バイオリニストであり指揮者でもあるディットリヒRudolf Dittrich(1867‐1919)を御雇外国人教師として招聘。…

※「音楽学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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