改訂新版 世界大百科事典 「順(遵)法闘争」の意味・わかりやすい解説
順(遵)法闘争 (じゅんぽうとうそう)
日本では官公部門の労働組合のストライキは法的に禁止されているため,ストライキを実行すれば解雇等の処分が行われる。これを避けつつ,当局の業務運用に打撃を与えることによって労働組合側の交渉力を強めようとして考案されたのが順法闘争で,業務のルールを完全に順守することにより作業能率を落とす方法である。争議戦術としては一種のサボタージュである。鉄道部門においてこの種の戦術が採用されたのは古く,1898年日鉄機関方が賃金引上げや職名改正の要求でストライキを行った(日鉄機関方ストライキ)さい,〈規定に反し無理勉強せざること〉が争議の戦術としてあげられている。
1948年官公部門のストが禁止され,49年民同派(〈民同運動〉の項参照)が国労の指導部を構成して以降,賃上げの仲裁裁定を完全実施しない政府への抗議闘争の一環として,国労は検査規定の完全実施,作業内規の完全励行,機関車の入出庫時間の厳守などを内容とする順法闘争を指令している。国労の順法闘争は最初民同派の戦術論である〈合法闘争〉が基盤となったといえるが,その後,国労でストライキが実施されるようになると労働組合に打撃が少なく,当局に打撃が大きい効果的な戦術として多用されるようになった。60年代以降になると順法闘争は直接運転部門にも広がり,信号規定やホームの安全監視の完全実施などにより,列車の遅延を目的とする戦術となった。とくに国鉄の機関士,運転士を組織する動労は作業現場(列車の運転席)が組合員の裁量下におかれるという運転労働特有の条件を生かして,効果的な順法闘争を行った。しかし順法闘争は首都圏など列車が過密の地域では無ダイヤ状態を生みだし,当局への打撃というより利用者のこうむる被害が大きく,労働組合に対する世論の非難をあびせられるようになった。73年春闘のなかで国労・動労の順法闘争が長期にわたって行われたさい,3月埼玉県上尾駅(上尾事件)で,また4月には首都圏の国電の数十の駅で暴動が発生したのを契機に,国労・動労の争議戦術は順法闘争からストライキに重点を移した。
執筆者:高木 郁朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報