飛鳥川(読み)アスカガワ

デジタル大辞泉 「飛鳥川」の意味・読み・例文・類語

あすか‐がわ〔‐がは〕【飛鳥川】

奈良県中部を流れる川。高取山に源を発し、畝傍うねび天香具山の間を流れ、大和川に注ぐ。昔は流れの変化が激しかったので、定めなき世のたとえとされた。また、同音の「明日」の掛け詞枕詞としても用いた。[歌枕]
「世の中はなにか常なる―昨日の淵ぞ今日は瀬になる」〈古今・雑下〉
「―明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも」〈・二七〇一〉
謡曲四番目物金剛喜多流世阿弥作。母に生き別れた少年友若は、飛鳥川のほとりで尋ねる母に再会する。

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日本歴史地名大系 「飛鳥川」の解説

飛鳥川
あすかがわ

高市郡高取町の高取山(五八三・九メートル)の東に発して北流、明日香村から橿原かしはら市・磯城しき郡を経て奈良盆地のほぼ中央、生駒安堵あんど村で大和川に注いでいる。現在は大和川に流入するまでを称するが、古代は上流の南淵みなぶち川とほそ川とが合する明日香村大字祝戸いわいど付近から飛鳥盆地の北西部辺りまでをおもに飛鳥川とよんでいた。

古くは、奈良盆地に出て西北流した飛鳥川は橿原市飛騨ひだ町辺りから北折し、耳成みみなし山の方へ流れていたといわれ、同市木原きはら町には「飛鳥流れ」の洪水の伝えがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「飛鳥川」の意味・わかりやすい解説

飛鳥川 (あすかがわ)

奈良県北西部の川。もと明日香(あすか)川とも記した。高市郡明日香村南東部の山地に源を発し,畝傍(うねび)山と天香久(あまのかぐ)山の間を流れ,明日香村,橿原(かしはら)市,田原本(たわらもと)町を貫流して,川西町で大和川に流入する。その間約22.3km。上流は急こう配のため多くの滝や淵をつくるが,冬野川を合わせる明日香村祝戸付近から流れは緩やかとなり,東岸には石舞台古墳,板蓋宮(いたぶきのみや)跡,飛鳥寺跡などの遺跡がみられる。雷(いかずち)丘と甘樫(あまかし)丘の間をぬけると天井川の様相を呈し,堆積土砂への浸透のため流水は乏しくなり,渇水時にはまったく流水をみないことさえあり,古歌にも〈世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日の瀬となる〉と詠まれた。飛鳥川に灌漑用水を依存する地域は古くから干害に苦しみ,厳しい水利規制が行われ,下流部では河床に井戸を設けて取水することさえ行われた。しかし,吉野川分水の実現により(1960-62年ごろより配水),水利事情は大きく緩和された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「飛鳥川」の意味・わかりやすい解説

飛鳥川
あすかがわ

奈良県中部を流れる川。竜門(りゅうもん)山地の高取山(584メートル)に源を発し、北流して橿原(かしはら)市で畝傍山(うねびやま)と天香具山(あめのかぐやま)の間を流れ、奈良盆地のほぼ中央、生駒(いこま)郡安堵(あんど)町で大和(やまと)川に合流する。延長28キロメートル。古代にはほぼ明日香村祝戸(いわいど)付近から橿原市飛騨(ひだ)町付近までを飛鳥川と称していたといわれる。上流域は古代の文化地域で宮跡や古社寺が多く、『万葉集』『古今集』などに数多く詠まれている。現在、川幅は狭く平凡な中小河川であるが、古くから灌漑(かんがい)用水として利用されており、上流はいまなお清澄で風情に富む。「世の中はなにか常なるあすか川昨日の淵(ふち)ぞ今日は瀬になる」(『古今集』読人(よみびと)しらず)などは有名である。

[菊地一郎]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飛鳥川」の意味・わかりやすい解説

飛鳥川
あすかがわ

奈良県中部,竜門山地の高取山付近に源を発し,北流して明日香村,橿原市を横断,奈良盆地中部で大和川に合流する川。長さ約 28km。飛鳥宮跡,古社寺などのある古文化地帯を流れ『万葉集』をはじめ多くの歌に詠まれている。

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