飯山城(読み)いいやまじょう

日本の城がわかる事典 「飯山城」の解説

いいやまじょう【飯山城】

長野県飯山市にあった平山城(ひらやまじろ)。千曲川のほとりの小高い丘に築かれていた城である。戦国時代には、越後の上杉氏と甲斐の武田氏の間で、激しい争奪が行われ、江戸時代には飯山藩の藩庁が置かれた。築城時期、築城者については特定されていないが、常盤牧(かつての官牧)の一帯を領有していた泉氏の居城ともいわれている。泉氏は戦国時代に入ると鴨ヶ嶽城主の高梨政頼の配下となった。政頼は北信濃に進出しようとしていた甲斐の武田信玄に対抗していたが、しだいに形勢不利となり飯山城に籠城して、越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)に援軍を求めた。こののち、飯山城は実質的に高梨氏の本城となり、越後の長尾氏の庇護下に入った。謙信は第五次川中島合戦(1564年/永禄7年)の際に同城を大々的に改修して、旧城主の泉弥七郎を城主とし、桃井伊豆守義孝、加地安芸守春綱らの援軍を駐屯させた。上杉謙信死去後、その家督をめぐって上杉景勝上杉景虎が争う御館の乱が起こるが、同乱後、景勝が甲斐の武田勝頼と和睦した際に、飯山城は武田氏に譲渡された。1582年(天正10)に武田氏が滅亡すると、織田信長麾下の森長可の城となったが、本能寺の変で信長が死去すると、長可は海津城(後の松代城)に移り、飯山城は景勝の城となった。1598年(慶長3)、景勝が越後から会津に国替えになると、飯山城は石川光吉、森忠政らの支配する城となった。その後、飯山城には関、皆川、堀、佐久間松平永井、青山の各氏らが入城したが、1717年(享保2)から幕末までは本多氏の居城となった。幕末から明治初年の戊辰戦争では、飯山藩が対応に苦慮しているうちに、旧幕府派の古屋作左兵衛門ら600人が飯山城下に侵攻し、新政府軍側の松代藩兵との戦闘となり、その際の放火城下の半分を焼失した。現在、本丸のあった場所は神社の境内、二の丸跡は公園となっており、曲輪(くるわ)、石垣、水堀などの遺構が残っているほか、復元城門がある。JR飯山線北飯山駅から徒歩約5分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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