馬籠峠(読み)まごめとうげ

日本歴史地名大系 「馬籠峠」の解説

馬籠峠
まごめとうげ

[現在地名]山口村神坂 馬籠・南木曾町吾妻 妻籠

馬籠峠は妻籠宿つまごしゆくと馬籠宿との間にある峠で、標高八〇一メートルである。

明和二年(一七六五)の「木曾古道記」には「伝云馬籠峠ハ径道也天正二年甲斐国勝頼美濃発向ノ時義昌馬蹄ノ道ヲ作ルト、法明寺木曾殿妹君ノ寺ナル時ハ古ヨリノ道ナラン木曾ヨリ馬籠ヘノ通路此外ニ場所ナシ」とあり、古くから開けた道であるとしている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬籠峠」の意味・わかりやすい解説

馬籠峠
まごめとうげ

長野県南西端、木曽谷(きそだに)の南端にある峠。標高801メートル。近世の中山道(なかせんどう)(木曽街道)が通じ、北麓(ほくろく)に妻籠宿(つまごしゅく)(長野県南木曽町)、南麓に馬籠宿(岐阜県中津川市)がある。明治中期に西方に新道ができたためさびれたが、江戸時代の街道のようすをよく残し、現在、信濃(しなの)自然歩道の一部として整備されている。とくに馬籠から峠を越えて妻籠に至る約9キロメートルはハイキングコースとして利用者が多い。峠に立つと、南方の岐阜中津川方面が大観でき、藤村は『夜明け前』で「広い空は恵那(えな)山の麓(ふもと)の方にひらけ……」と記している。また正岡子規(しき)の「白雲や青葉若葉の三十里」の句碑もある。峠付近には木曽谷から搬出する材木を改める白木改番所(しらきあらためばんしょ)跡、立場(たてば)茶屋などが残っている。

[小林寛義]

『市川健夫著『信州の峠』(1972・第一法規出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「馬籠峠」の意味・わかりやすい解説

馬籠峠 (まごめとうげ)

長野県木曾郡南木曾(なぎそ)町と岐阜県中津川市の境にある峠。標高801m。中山道が通り,北麓に妻籠(つまご),南側中腹に馬籠西麓落合の3宿が置かれた。街道の難所の一つで,峠路の一部は石畳で舗装されている。峠の北側には,番所跡や雄滝雌滝などがあり,南側には牛方集落であった峠がある。1959年車道が整備されたが,旧街道も残り,ハイキングコースに利用されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬籠峠」の意味・わかりやすい解説

馬籠峠
まごめとうげ

長野県南西部の南木曽町と,岐阜県中津川市の境にある峠。旧中山道木曾谷の南の入口にあたる。標高 801m。南方に馬籠北方妻籠の旧宿場町がある。旧中山道自然遊歩道として保存されており,番所跡,桟道跡などがあって,近世街道の様相をよく残している。

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