高倉光守(読み)たかくら・みつもり

朝日日本歴史人物事典 「高倉光守」の解説

高倉光守

生年生没年不詳
南北朝初期の廷臣。父は権中納言経守,母は藤原経業の娘。後醍醐天皇の五位蔵人として,元弘から延元年間(1330年代),天皇綸旨を奉じていたことが知られ,官は勘解由次官,記録所寄人,右中弁などである。『職事補任』によれば,光守が蔵人に補されたのは元弘3(1333)年で,同年7月権左少弁に任じられ,右衛門権佐とみえる。兄とみられる経躬が,嘉暦1,2(1326,27)年ごろ38歳(一説に28歳)で没しており,そのあとを継いだものと推測される。壬生(小槻)匡遠の日記『小槻匡遠記』建武2(1335)年4月20日条に「左少弁光守」,同6月25日条に「右中弁光守」がみえている。

(相馬万里子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高倉光守」の解説

高倉光守 たかくら-みつもり

?-? 南北朝時代官吏
醍醐(ごだいご)天皇の蔵人(くろうど)として,元弘(げんこう)-延元年間(1331-40)天皇の綸旨(りんじ)をおおく奉じる。また記録所寄人,右中弁などをつとめた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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