高倉徳太郎(読み)たかくらとくたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高倉徳太郎」の意味・わかりやすい解説

高倉徳太郎
たかくらとくたろう
(1885―1934)

プロテスタント牧師神学者。京都府綾部(あやべ)に生まれる。東京帝国大学独法科在学中に植村正久(うえむらまさひさ)により富士見町教会で受洗。大学を中退して東京神学社入学、卒業後は各地の牧師を経て東京神学社の教授となる。イギリス留学より帰国後、東京・柏木(かしわぎ)に戸山教会(現、信濃(しなの)町教会)を設立、独自の神学的説教により、日本有数の優れた教会へと発展させた。植村没後、東京神学社校長、日本神学校教頭などを歴任するが、心身の過労により死に至る。彼は植村らに続く典型的な2代目キリスト者であり、その生涯は一貫して自我の問題との苦闘の連続であった。恩寵(おんちょう)による贖罪(しょくざい)の福音(ふくいん)をとくに強調する彼の福音的キリスト教は、昭和初期の日本に初めて神学的な覚醒(かくせい)と方向づけとをもたらした点で高く評価される。主著に『福音的キリスト教』がある。

石川 都 2018年3月19日]

『『高倉徳太郎著作集』全5巻(1964/オンデマンド版・2005・新教出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「高倉徳太郎」の意味・わかりやすい解説

高倉徳太郎 (たかくらとくたろう)
生没年:1885-1934(明治18-昭和9)

代表的なプロテスタント神学者。植村正久より洗礼を受け,東京帝国大学を中退して東京神学社に入学。札幌北辰教会などを経て,東京神学社教授,同校長,戸山教会(後の信濃町教会)牧師を歴任した。教会と神学の伝統の未熟な日本にあって,ヨーロッパの神学を咀嚼(そしやく)しながら,神学的思惟を確立した。《福音的基督教》(1927)によって,罪と恩寵を強調する贖罪的神学を展開し,あわせて聖書的,福音的説教による教会形成の道を開拓した。雑誌《福音と現代》を刊行。彼の下で説教と神学によって教会を形成することを学んだ多くの牧師が生まれた。その講義,説教は,《高倉徳太郎全集》10巻(1936-37)に収められている。
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百科事典マイペディア 「高倉徳太郎」の意味・わかりやすい解説

高倉徳太郎【たかくらとくたろう】

プロテスタントの牧師,神学者。東大法科在学中植村正久に導かれて受洗。東京神学社に入学,のち渡英してエディンバラ大学などで神学を学ぶ。1925年戸山教会を設立,1930年日本神学校教頭。主著《福音的基督教》(1927年),雑誌《福音と現代》などで,説教と神学を重視する福音的キリスト教を説いた。
→関連項目赤岩栄長老派教会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高倉徳太郎」の意味・わかりやすい解説

高倉徳太郎
たかくらとくたろう

[生]1885.4.23. 綾部
[没]1934.4.3. 東京
牧師,神学者。 1906年第四高等学校を経て東京帝国大学法科に入学したが,植村正久の富士見町教会で受洗後,伝道者になるために退学して東京神学社に入る。京都,札幌で牧会につとめたのち 18年母校教授,25年同校長。信濃町教会創立者。 30年福音同志会を結成し,雑誌『福音と現代』を創刊,福音的キリスト教を唱え,弁証法神学などを受入れる素地をつくった。『高倉徳太郎全集』 (10巻,1936) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高倉徳太郎」の解説

高倉徳太郎 たかくら-とくたろう

1885-1934 大正-昭和時代前期の神学者,牧師。
明治18年4月23日生まれ。東京帝大在学中に植村正久より受洗,大学を中退して東京神学社に入学。各地の牧師をへて東京神学社の教授となり,大正14年校長。戸山教会(のちの信濃町教会)を設立,福音的キリスト教を唱道するが,昭和9年4月3日自殺した。50歳。京都出身。著作に「福音的基督(キリスト)教」など。

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