高円宮 憲仁(読み)タカマドノミヤ ノリヒト

20世紀日本人名事典 「高円宮 憲仁」の解説

高円宮 憲仁
タカマドノミヤ ノリヒト

昭和・平成期の皇族 三笠宮崇仁親王第三男子;日本サッカー協会名誉総裁;日加協会名誉総裁;国際交流基金嘱託。



生年
昭和29(1954)年12月29日

没年
平成14(2002)年11月21日

学歴〔年〕
学習院大学法学部法学科〔昭和53年〕卒,クイーンズ大学大学院

主な受賞名〔年〕
クイーンズ大学名誉博士号〔平成4年〕

経歴
三笠宮崇仁親王の第三男子で、天皇陛下のいとこにあたる。昭和53年3月学習院大学法学部ご卒業。同年5月カナダのクイーンズ大学大学院にご留学。56年8月ご帰国。同年11月から国際交流基金嘱託。59年12月6日、東邦物産・鳥取滋治郎専務の長女・久子さまとご結婚、高円宮を創家。61年第一女子・承子女王、63年第二女子・典子女王、平成2年第三女子・絢子女王ご誕生。国際交流に尽くすとともにスポーツ界を中心に文化、芸術などの幅広い活動で知られ、日本サッカー協会、日本ホッケー協会、日本スカッシュ協会、日加協会、高松宮杯全日本中学校英語弁論大会の名誉総裁のほか、日本アマチュアオーケストラ連盟総裁なども務められた。戦後世代の皇族として精力的にご公務にあたり、“開かれた皇室”のスポークスマン的存在だった。また、江戸時代からの伝統工芸である“根付け”の熱心なコレクターで、その復権に努力された。13年雑誌「婦人公論」にコラムを連載され、14年「素顔一瞬」として著書にまとめられた。同年6月サッカーW杯日韓共催大会では、戦後の皇族として初めて韓国を公式訪問された。同年11月カナダ大使館の屋内コートでスカッシュのレッスン中に倒れられ、そのままお亡くなりになった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「高円宮 憲仁」の解説

高円宮 憲仁 (たかまどのみや のりひと)

生年月日:1954年12月29日
昭和時代;平成時代の皇族
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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