朝日日本歴史人物事典 「高原弘造」の解説
高原弘造
生年:弘化2.5(1845)
明治期の建築家。西洋建築を本場で学んだ最初の日本人。讃岐国(香川県)生まれ。明治4(1871)年2月高松藩より英国に派遣され,廃藩後は工部省留学生として建築学を修める。7年に帰国,J.コンドルの助手などを経て20~25年日本土木会社(大成建設)の技師長を務め,歌舞伎座,静岡県庁舎,近衛師団兵営などを設計。
(石田潤一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(石田潤一郎)
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