高村豊周(読み)たかむらとよちか

改訂新版 世界大百科事典 「高村豊周」の意味・わかりやすい解説

高村豊周 (たかむらとよちか)
生没年:1890-1972(明治23-昭和47)

鋳金家。高村光雲三男として東京に生まれる。彫刻家・詩人の光太郎は長兄にあたる。18歳で津田信夫の門に入ったが,東京美術学校に学び1915年鋳金科を卒業。无型(むけい)(1926),実在工芸美術会(1935)を組織し,工芸の近代化運動に活躍した。作風造形の新鮮さを,惣型(そうがた),込型(こめがた),蠟型などの伝統的な技法の駆使によったものが多い。代表作に長野県小諸懐古園の《藤村詩碑》,《斜交紋花筒》(1928年帝展特選)などがある。また,与謝野鉄幹晶子夫妻師事して短歌を学び,《露光集》《歌ぶくろ》などの歌集,《光太郎回想》《自画像》などの著書がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高村豊周」の意味・わかりやすい解説

高村豊周
たかむらとよちか
(1890―1972)

鋳金家。彫刻家高村光雲(こううん)の三男として、東京・下谷(したや)に生まれる。兄は彫刻家・詩人の光太郎(こうたろう)。東京美術学校(現、東京芸術大学)鋳金科で津田信夫(しのぶ)に師事、1915年(大正4)卒業後、新しい工芸美術の確立を目ざし、1926年无会(むかい)を結成した。1927~1929年(昭和2~4)に帝展出品の「鋳銀盤」「斜交文花筒」「鋳銅花筒」が連続して特選となり、以後、帝展、文展、日展で審査員、理事等を務め、東京美術学校教授(1933~1944)として後進を指導した。1935年実在工芸美術会を設立して新様式の樹立に努めた。1950年芸術院会員となり、1964年には重要無形文化財保持者に認定された。作品は伝統的な器形をとりながらも明治の置物工芸から脱して、現代感覚を表出したものが多い。また詩歌を与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫妻に学び、歌集『露光(ろこう)集』がある。

[原田一敏]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高村豊周」の解説

高村豊周 たかむら-とよちか

1890-1972 大正-昭和時代の鋳金家。
明治23年7月1日生まれ。高村光雲の3男。高村光太郎の弟。津田信夫(しのぶ)に師事。无型(むけい)や実在工芸美術会などを組織。東京美術学校教授,金沢工芸専門学校教授。鋳金家協会会長などをつとめた。代表作に「藤村詩碑」「斜交紋花筒」など。芸術院会員。昭和39年人間国宝。昭和47年6月2日死去。81歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。著作に「光太郎回想」「自画像」,歌集に「歌ぶくろ」など。

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