高松豊吉(読み)たかまつとよきち

改訂新版 世界大百科事典 「高松豊吉」の意味・わかりやすい解説

高松豊吉 (たかまつとよきち)
生没年:1852-1937(嘉永5-昭和12)

応用化学者。日本における近代化学工業の指導者。江戸浅草阿部川町の名主役の家に生まれ,洋学を志し,大学南校・開成学校をへて1878年東京大学理学部化学科卒業,翌年文部省留学生に選ばれイギリスおよびドイツで応用化学を修め,82年帰国,東京大学講師,84年教授に進み,86年帝国大学発足とともに工科大学応用化学科教授,88年工学博士,また85年以来東京職工学校(現,東京工大)で色染学などを講じた。1903年渋沢栄一に請われ東京瓦斯(現,東京ガス)に転じ,常務専務をへて09年社長となり,14年まで在任。15年農商務省工業試験所長就任,ふたたび化学工業諸分野の研究開発と技術指導にあたり,24年退任。この間,理化学研究所創立に貢献したほか,工業化学会長,日本化学会長,化学工業協会長などを歴任,学術研究会議会員,帝国学士院会員に選ばれた。日本の工業化学の元老ともよばれ,31年イギリス工業化学会名誉会員に推された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高松豊吉」の意味・わかりやすい解説

高松豊吉
たかまつとよきち
(1852―1931)

応用化学者。江戸の名主高松喜兵衛の二男として生まれる。1878年(明治11)東京大学理学部化学科を卒業して、イギリスとドイツの大学に留学した。1882年帰国後、東京大学講師となり、1884年教授となった。彼の建議により理学部から分離して工芸学部が新設され、帝国大学創立とともに同大学工科大学最初の応用化学第一講座(石炭・染料)を担当した。1903年(明治36)渋沢栄一に懇請されて東京瓦斯(がす)株式会社の常務となり、1909~1914年社長についた。1914年(大正3)農商務省に設置された化学工業調査会の筆頭委員となり、化学工業育成政策に尽力し、1915~1924年東京工業試験所第2代所長を務めた。そのほか、理化学研究所、学術研究会議などの設置に貢献し、東京化学会、工業化学会、日本薬学会など内外諸学会の会長・役員などを歴任、日本の応用化学の元老とよばれた。

山崎俊雄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高松豊吉」の解説

高松豊吉 たかまつ-とよきち

1852-1937 明治-昭和時代前期の応用化学者。
嘉永(かえい)5年9月11日生まれ。英・独に留学,明治17年東京大学教授,19年帝国大学工科大学最初の応用化学講座を担当。36年渋沢栄一にこわれて東京瓦斯(ガス)にうつり,42年社長。数おおくの化学団体の会長をつとめ,日本の工業化学界の元老といわれた。昭和12年9月27日死去。86歳。江戸出身。東京大学卒。著作に「化学教科書」「化学語彙」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高松豊吉」の意味・わかりやすい解説

高松豊吉
たかまつとよきち

[生]嘉永5(1852).9.12. 東京
[没]1937.9.27.
応用化学者。東京帝国大学理学部化学科卒業 (1878) 。イギリス,ドイツに留学 (79~82) ,東京帝国大学理学部教授 (84) ,東京帝国大学工科大学教授 (86~1903) 。東京ガス社長 (09~14) 。工業化学会会長 (10~14) 。東京工業試験所所長 (15~24) 。主として明治の日本の化学工業の開拓に尽力した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android