高桑与四郎(読み)たかくわ・よしろう

朝日日本歴史人物事典 「高桑与四郎」の解説

高桑与四郎

生年生没年不詳
江戸中期,秋田藩城下久保田上肴町(秋田市)の商人。会得した諏訪湖の氷下漁法八郎潟に伝えた。寛政7(1795)年,秋田郡一日市村の長九郎と共に試漁し,湖岸村に農閑雪中の大収入源をもたらした。のち文化1(1804)年よりその曵網役銀徴税を請け負い,上納額の半額を分与され,明治に至る。氷下漁は八郎潟で昭和初期までみられた。<参考文献>橋本宗彦編『秋田沿革史大成』下

(田島佳也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高桑与四郎」の解説

高桑与四郎 たかくわ-よしろう

?-? 江戸時代中期-後期の商人。
出羽(でわ)久保田(秋田県)の人。諏訪(すわ)湖の氷下(こおりした)漁法を習得し,寛政7年(1795)これを八郎潟につたえた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高桑与四郎の言及

【八郎潟】より

…漁業の歴史も古く,近世初期には村地先の潟の専用権が確立され,ワカサギ,ハゼ,フナ,シラウオ,ボラ,ウナギ,シジミなどを冬季は氷下引網,秋季は打瀬(うたせ)網で漁獲した。氷下引網漁は秋田の商人高桑与四郎が信州諏訪湖の氷下漁法を学んで,考案・完成したもので,1804年(文化1)に与四郎は網1統から銀10匁の役銀取立てを秋田藩に進言し,藩から氷下漁業の取締りを命じられた。網数は同年に50統,55年(安政2)には90統に増加し,潟東部の村々が中心であった。…

※「高桑与四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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