朝日日本歴史人物事典 「高橋新五郎(2代)」の解説
高橋新五郎(2代)
生年:寛政3.1.5(1791.2.7)
江戸後期の機業家。武蔵国足立郡塚越村(埼玉県蕨市)生まれ。商号は東屋。初代新五郎が木綿糸綿商売を始め,文政7,8(1824,25)年ごろ,機台の改良に成功した2代新五郎が青縞生産に着手。生産規模を拡大し,天保8(1837)年には機台数102台(一説には120台),藍甕数130本(同300本余)の規模に至っていたという。弟子機屋,孫機屋の数も同11年には125人から数百人,数百カ村におよぶとされる。同11年に隠居,数馬を名乗った。 3代新五郎は,一種の縞機の改良をもとに,「塚越結城」や絹糸を交織した「東屋唐桟」を開発し,販路をさらに拡大した。幕末開港まもない文久1(1861)年,いち早く洋糸(輸入綿糸)を導入して双子縞(塚越双子)を考案したのも3代新五郎の功績とされている。このような高橋家の織物経営のあり方は,マニュファクチュア論争とも関係して,経済史研究の分野で論議の対象となった。<参考文献>『蕨市の歴史』2巻
(谷本雅之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報