高橋浩一郎(読み)たかはしこういちろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋浩一郎」の意味・わかりやすい解説

高橋浩一郎
たかはしこういちろう
(1913―1991)

気象学者。東京・下谷(したや)の生まれ。東京帝国大学理学部物理学科で寺田寅彦(とらひこ)、藤原咲平(さくへい)の教えを受け、在学中から、不規則な振動体の周期、減衰率を求める独創的な研究を発表した。1936年(昭和11)卒業後、中央気象台に入り、天気予報業務に携わったが、この時期に物理的基礎に基づく量的予報分野開拓した。この研究はさらに、極東における天候動気候学的研究に発展、これらの業績は日本の天気予報技術の発展に貢献した。1944年量的予報の研究により第1回技術院賞を受けた。第二次世界大戦後は主として長期予報の分野を開拓、1968年(昭和43)札幌管区気象台長、1970年予報部長を経て、1971年第5代気象庁長官となった。1974年退官。以後筑波(つくば)大学教授、早稲田(わせだ)大学講師を務める。多産な研究業績で知られ、著書に『動気候学』『総観気象学』『日本の天気』など専門書、啓蒙(けいもう)書が多い。

根本順吉

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋浩一郎」の解説

高橋浩一郎 たかはし-こういちろう

1913-1991 昭和時代の気象学者。
大正2年5月3日生まれ。中央気象台で予報業務にしたがい,気温,風速などの量的予報を研究,第1回技術院賞を受賞。戦後は長期予報の分野を開拓し,昭和46年気象庁長官となった。50年筑波大教授。平成3年8月21日死去。78歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「動気候学」「日本の天気」など。

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