高津正道(読み)たかつせいどう

改訂新版 世界大百科事典 「高津正道」の意味・わかりやすい解説

高津正道 (たかつせいどう)
生没年:1893-1974(明治26-昭和49)

社会運動家。広島県の真宗寺院住職長男として生まれる。一度は亡父を継いで住職となるが,仏教改革を志し,1918年早稲田大学哲学科に入学,雄弁会に所属する。20年日本社会主義同盟準備会の発起人に名を連ねたため,放校となる。21年暁民共産党事件で禁錮8ヵ月の刑を受ける。出獄後,日本共産党に参加。27年福本イズムに反対して脱党,労働農民党に参加する。その後,広島に中国無産党を創立した。また,〈労農派〉に属し,37年人民戦線事件で検挙された。第2次大戦後は日本社会党の創立に尽力し,中央執行委員となる。47年広島県選出の代議士(計4回当選),57年以降は党顧問。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高津正道」の解説

高津正道 たかつ-せいどう

1893-1974 大正-昭和時代の社会運動家,政治家
明治26年4月20日生まれ。早大在学中に社会主義運動に参加,大正11年共産党の結成にくわわり,ソ連に亡命。帰国後共産党を脱党し郷里広島で中国無産党を創立。戦後社会党の創立に参加,中央執行委員をつとめる。昭和21年衆議院議員(当選5回)。衆議院副議長。昭和49年1月9日死去。80歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高津正道の言及

【暁民共産党事件】より

…軍隊赤化事件ともいう。同年1月復刊された大杉栄の《労働運動》には近藤とともに高津正道も協力しており,4月に組織された日本共産党準備委員会には,早稲田大学学生高津,高瀬清らを中心に結成された(1920年5月)学生,労働者の団体〈暁民会〉員も参画していた。上海より帰った近藤は8月以降暁民会を中心に,赤瀾会(1921年4月結成)などとも関係しつつ活躍していた。…

※「高津正道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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