デジタル大辞泉
「高田焼」の意味・読み・例文・類語
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こうだ‐やき カウだ‥【高田焼】
〘名〙 熊本県
八代(やつしろ)市から産する
陶器。もと細川藩の
御用窯で、寛永年間(
一六二四‐四四)朝鮮渡来の
陶工、
上野(あがの)喜蔵が八代郡
高田郷に開窯。のち、平山ついで
日奈久に窯を移す。初期の作はなまり色の釉
(うわぐすり)をかけた豪放なもの。
八代焼。
肥後薩摩。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
高田焼
こうだやき
八代焼,平山焼とも呼ばれる。豊前 (福岡県) の細川忠利が転封によって肥後 (熊本県) に移ったとき,上野 (あがの) の陶工上野喜蔵が招かれて,寛永 10 (1633) 年,八代郡高田郷奈良木村 (八代市) に築窯した藩窯に始る。のち万治1 (58) 年,喜蔵の息子の忠兵衛と藤四郎が豊原村字平山に移築して継承した。製品は薄造りの茶陶が多く,胎土は赤褐色,釉 (うわぐすり) は青色を帯びて,朝鮮唐津の色調に近い。4世藤四郎のとき,白土や黒土を象眼する方法が案出され,すぐれた茶器を作った。文化文政期に隆盛期を迎えたが,明治に入って衰えた。現在は八代市日奈久に窯がある。
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高田焼[陶磁]
こうだやき
九州・沖縄地方、熊本県の地域ブランド。
八代市・八代郡氷川町で製作されている。来歴は明らかではないが、江戸時代初期の1632(寛永9)年に細川家転封のため、細川三斎に従って八代へ移った尊楷が、高田の奈良木(現・八代市奈良木町)に窯を築いたといわれる。初期の作品は、褐色・黒色・青色などの釉薬を使い、粒子の粗い粘土を用いた素朴で力強い作風であった。その後、きめ細かい胎土を用いるようになり、象嵌の技法が完成され太白焼と呼ばれるものも焼かれた。現在、青緑色の青磁釉を使用した高麗青磁の作品が多く製作されている。熊本県伝統工芸品。
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報