高良山(読み)コウラサン

デジタル大辞泉 「高良山」の意味・読み・例文・類語

こうら‐さん〔カウラ‐〕【高良山】

福岡県久留米市にある山。中腹高良大社、西斜面に神籠石こうごいしがある。

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精選版 日本国語大辞典 「高良山」の意味・読み・例文・類語

こうら‐さん カウラ‥【高良山】

福岡県久留米市にある山。中腹に筑後国一宮高良大社があり、神護石(こうごいし)環状列石がある。不濡(ぬれず)山。琴弾山

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日本歴史地名大系 「高良山」の解説

高良山
こうらさん

耳納みのう山地の西部にある山。高牟礼たかむれ山・不濡ぬれせぬ山・琴弾ことひき山・かじ山ともいう。古代より宗教的な山として、また軍事政略上の要地として知られる。主峰の毘沙門びしやもん(三一二・三メートル)に高良山奥院、中腹に筑後国一宮高良玉垂こうらたまたれ(現高良大社)がある。本宮山を東の頂として、南はわし山、西は勢至堂せいしどう山・虚空蔵こくぞう山、北は吉見よしみ岳の五峰と、南谷北谷の二谷を取込むように高良山神籠石がみられる。山中および山麓には祇園山ぎおんやま古墳・礫山つぶてやま古墳、高隆こうりゆう寺跡・本坊(御井寺)跡、座主代々墓、伊勢天照御祖いせあまてらすみおや神社・高樹たかぎ神社(旧名高牟礼権現)宮地嶽みやじだけ神社・桃青霊とうせいれい神社・愛宕神社・琴平神社・厳島神社などが点在する。中世には寺社を中心とする一山を高良山と称する例が多く、「高良山座主」(永正元年七月一九日「大友親治継目安堵状」高良山文書/久留米市史7 資料編古代・中世)、「高良山御神領」(同五年一一月三日「高良山領坪付」同上)などとみえ、末寺社・社家人を含めて宗教的・政治的勢力としての側面をみせる。正中元年(一三二四)頃「上筑後社家衆」が北野きたの(現北野町)に押掛けて喧嘩し(三月二日「大宮司有基書状」同上)、これに関係するのか高良社頭で闘乱があり、同二年「高良山源所殿」に本所から指示が出されている(同年八月二日「権律師某奉書写」同文書/鎌倉遺文三七)。建武二年(一三三五)「高良山衆徒」が竹野たかの(現田主丸町)で濫妨をはたらいたという(同年一二月二六日「後醍醐天皇綸旨」西大寺文書/南北朝遺文(九州編)一)

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事典・日本の観光資源 「高良山」の解説

高良山

(福岡県久留米市)
福岡県文化百選 歴史散歩編指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の高良山の言及

【神籠石】より

…その造営時期については諸説がある。九州型の最大のものが高良山(こうらさん)と女山(ぞやま)で,この2者を底辺にして二等辺三角形を描くと頂点に6世紀に大和朝廷に滅ぼされた磐井(いわい)の墓と伝える岩戸山古墳があり,これを中心として北方に中型の遺跡が杷木(はき),帯隈(おぶくま)山,おつぼ山と並び,さらに外郭に御所ヶ谷,鹿毛馬(かげのま),雷山と並ぶ3線の防御陣地を磐井がつくり,これを攻撃する大和勢が山口県石城山という瀬戸内型をつくったとする6世紀前半説,聖徳太子新羅遠征準備時のものとする7世紀説,吉備平野の鬼ノ城を吉備反乱に結びつける5世紀説,吉備大宰が設置したとする7世紀後半説などがあるが,大宰府防備のための大野城基肄(きい)城よりは築城方式が古く,7世紀中葉以前のものであることは疑いない。【坪井 清足】。…

※「高良山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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