高萩新宿(読み)たかはぎしんじゅく

改訂新版 世界大百科事典 「高萩新宿」の意味・わかりやすい解説

高萩新宿 (たかはぎしんじゅく)

埼玉県南部,日高市の地名。1583年(天正11)11月10日,〈定市之法度〉と題する虎印判状が高萩新宿あてに出された。これより先1519年(永正16)に北条早雲の三男菊寿丸(長綱)の知行地として高萩51貫文が,59年(永禄2)には江戸衆大森殿の知行地として高萩郷50貫文が見える。この高萩郷の中で開発が行われ,83年にそこが新宿と定められたのである。新宿は開発によって新しい町立てが行われ,伝馬役を負担する所で,ここでは2・7の六斎市が開かれることになった。虎印判状は高萩新宿を保護するため,押買・狼藉の禁止,債務の強制取立て禁止,諸役免除の3ヵ条を定めた。この3ヵ条は5年前の78年に世田谷新宿を楽市と定めた虎印判状の内容と同じで,高萩新宿もまた楽市としての特権北条氏から認められたのである。六斎市は江戸時代になって衰退し,18世紀には7月12日,12月27日の年2回の市になり,19世紀に入るとまったく廃絶した。新宿の名は小字の〈宿〉として残った。
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百科事典マイペディア 「高萩新宿」の意味・わかりやすい解説

高萩新宿【たかはぎしんじゅく】

埼玉県日高市の地名。戦国期には一帯は高萩郷とよばれた。1583年,北条氏から〈定市之法度〉と題する印判状が高萩新宿宛てに出された。高萩郷の開発によって新たに町立てされ,そこが新宿と定められたのである。2・7の六斎市開設が許され,また3ヵ条からなる市の法度が定められており,楽市としての特権が認められた。江戸時代に入り六斎市は衰退,市は7月12日と12月27日の年2回のみとなり,それも江戸中期以降は廃絶。

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