高重茂(読み)こうのしげもち

朝日日本歴史人物事典 「高重茂」の解説

高重茂

生年生没年不詳
南北朝時代武将。師重の子。大和権守,駿河守。武蔵国守護。引付頭人。足利尊氏鎌倉幕府倒幕挙兵に参加。建武2(1335)年尊氏と共に九州に下り,同地において,菊池氏らと戦う。その後尊氏と共に上洛し,建武4/延元2年に武蔵守護となり関東に下る。翌年1月,奥州の大軍を率いた北畠顕家軍と鎌倉で激戦を展開。同年上洛。以後,足利直義の下に,引付頭人として活躍。観応の擾乱以後の活動は不明だが,応安1/正平23(1368)年,鎌倉において高大和入道重茂なる武将がみられるが,あるいは同一人とも考えられる。

(伊藤喜良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高重茂」の解説

高重茂 こうの-しげもち

?-? 南北朝時代の武将。
高師重(もろしげ)の子。兄の高師直らとともに足利尊氏をたすけて新田義貞(にった-よしさだ)とたたかい,のち菊池武敏(たけとし)をやぶる。武蔵(むさし)守護をへて,康永2=興国4年(1343)室町幕府引付頭人(ひきつけとうにん)となった。名は師茂ともいう。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android