魚屋北渓(読み)ととや・ほっけい

朝日日本歴史人物事典 「魚屋北渓」の解説

魚屋北渓

没年嘉永3.4.9(1850.5.20)
生年:安永9(1780)
江戸後期の浮世絵師。岩窪氏。名は辰行,俗称初五郎,金右衛門。別号に拱斎,葵岡などがある。住居は江戸四谷鮫河橋など。もと魚商を営んでいたことから俗に魚屋と呼ばれ,のち自らもそれを号としたと伝える。絵は最初狩野養川院惟信に師事したとされ,のち葛飾北斎に就いて浮世絵を学び,寛政初年ごろから浮世絵師として画壇に登場する。その後は没年近くまで作画活動を続けるが,この間錦絵の作はさほど多く手懸けず,むしろ洒落本,噺本や読本などの版本挿絵をはじめ,狂歌摺物,狂歌絵本などが多い。

(内藤正人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「魚屋北渓」の意味・わかりやすい解説

魚屋北渓
ととやほっけい

[生]安永9(1780).江戸
[没]嘉永3(1850).4.9. 江戸
江戸時代後期の浮世絵師。本名は岩窪辰行,俗称は初五郎のち金右衛門。字は拱斎,号は葵岡 (きこう) 。魚屋だったので魚屋北渓と呼ばれた。初め狩野雅信に習い,のち葛飾北斎に師事。狂歌本の挿絵,狂歌摺物 (すりもの) にその特色を示した。主要作品『諸国名所』『古今狂歌撰』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「魚屋北渓」の解説

魚屋北渓 ととや-ほっけい

1780-1850 江戸時代後期の浮世絵師。
安永9年生まれ。江戸四谷の魚屋。狩野惟信(これのぶ),葛飾(かつしか)北斎にまなび,のち画業に専念。狂歌摺物(すりもの),狂歌本の挿絵がおおい。嘉永(かえい)3年4月9日死去。71歳。姓は岩窪。名は辰行。通称は初五郎,金右衛門。別号に拱斎,葵岡。作品に「諸国名所」など。
格言など】あつくなく寒くなくまたうゑもせず憂き事きかぬ身こそ安けれ(辞世)

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