鳥羽屋里長(初代)(読み)とばや・りちょう

朝日日本歴史人物事典 「鳥羽屋里長(初代)」の解説

鳥羽屋里長(初代)

没年寛政6.7(1794,95)
生年:元文3(1738)
江戸中期の長唄・豊後系浄瑠璃三味線方家元上総(千葉県)生まれ。目が不自由で,里都と称した。宝暦4(1754)年初代鳥羽屋三右衛門の門に入り,三味線を学んだのち,天明1(1781)年里長の名で富本節の三味線を勤めた。3年には常磐津節に移って「関の扉」「戻駕」など名曲を生み出したが,寛政3(1791)年常磐津方と不和を生じ,同流の三味線方を退いた。翌年,5代目都一中のために「傾城浅間岳」を作り,中村座に出勤したものの不評で,秋にはまた富本の三味線方に戻っている。6年以降の行動は不明。なお,里長の名前は現在まで7代を数える。また彼の門から「故沢」「三保崎」「富本」などの姓を持つ富本節の三味線方が輩出した。

(根岸正海)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥羽屋里長(初代)」の解説

鳥羽屋里長(初代) とばや-りちょう

1738-1794/95 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
元文3年生まれ。盲人で里都(さとのいち)を名のる。初代鳥羽屋三右衛門の門人。天明3年富本から常磐津(ときわず)にうつり,初代常磐津兼太夫(2代常磐津文字太夫)の立三味線をつとめ,「関の扉(と)」「戻駕(もどりかご)」などを作曲。寛政3年常磐津をはなれ,翌年富本にもどった。寛政6/7年死去。57/58歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。

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