鳥羽藩(読み)とばはん

百科事典マイペディア 「鳥羽藩」の意味・わかりやすい解説

鳥羽藩【とばはん】

志摩国答志(とうし)郡鳥羽(現,三重県鳥羽市)を城地とした藩。水軍の将として活躍した九鬼嘉隆(くきよしたか)は,織田信長から志摩一国および伊勢3郡の内で合わせて3万5000石を安堵され,1594年には水城の鳥羽城を築く。関ヶ原の戦で九鬼嘉隆・守隆父子は東西両軍に分かれて戦い,西軍の嘉隆は自刃,東軍に属した守隆が戦功により2万石を加増され,領知高は5万5000石となった。守隆没後九鬼隆季(たかすえ)と九鬼久隆の兄弟が家督を争い,幕府の裁定で隆季は丹波綾部(あやべ),久隆は摂津三田(さんだ)へ国替。1633年内藤氏が3万5000石を領して入部するが,1680年3代内藤忠勝のときに断絶,一時幕府領となる。翌1681年土井利益(とします)(7万石),1691年松平(大給(おぎゅう))乗邑(のりさと)(6万石),1710年板倉重治(5万石),1717年松平(戸田)光慈(みつちか)(7万石)が封じられるが,いずれも当代で転封。1725年松平光慈の跡に稲垣昭賢(あきかた)が3万石で入って藩主家は定着,8代稲垣長敬(ながひろ)のとき廃藩置県。九鬼家は外様大名,ほかは譜代大名。土井利益の代に新田畑の開発が進められた。しかし領内は耕地が少なく漁業に頼る面が多く,藩の財政は苦しかった。1841年佐藤信淵(のぶひろ)が《鳥羽領経緯記》を著して藩政改革を促したが,成果は乏しかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥羽藩」の意味・わかりやすい解説

鳥羽藩
とばはん

志摩(しま)国鳥羽(三重県鳥羽市)周辺を領有した藩。鳥羽城は1569年(永禄12)、九鬼(くき)水軍を率いて志摩国一円を支配した九鬼嘉隆(よしたか)が築城した山城(やまじろ)で、彼は97年(慶長2)鳥羽3万石の封を嫡子守隆(もりたか)に譲る。関ヶ原の戦いで守隆は東軍に属し、西軍にくみし自刃した父の隠居料5000石とほかに2万石加増され、ついで大坂の陣での功で1000石を加えられ5万6000石を領有した。1632年(寛永9)守隆没後、三男隆季(たかすえ)と五男久隆(ひさたか)の間で家督争いが起こり、幕府の裁決により、翌年、久隆(3万6000石)は摂津三田(さんだ)、隆季(2万石)は丹波綾部(たんばあやべ)へそれぞれ転封となった。かわって内藤忠重(ただしげ)が常陸真壁(ひたちまかべ)から入封した。内藤氏治世下、志摩一宮(いちのみや)伊雑宮(いざわのみや)と、藩主・伊勢(いせ)皇大神宮との間に神領をめぐる「寛文(かんぶん)事件」が起こった。以後、忠重、忠政(ただまさ)、忠勝(ただかつ)と在封したが、1680年(延宝8)忠勝は4代将軍家綱(いえつな)法会の席上、私憤から丹後宮津城主永井尚長(なおなが)を殺害したため切腹を命ぜられ、所領は没収、一時幕領となる。1681年(天和1)土井利益(とします)が下総古河(しもうさこが)から入封、91年(元禄4)肥前唐津(からつ)へ移封となる。これと交代で唐津より松平乗邑(のりさと)が入封、1710年(宝永7)伊勢亀山(かめやま)へ国替となる。入れ替えに亀山より板倉重治(しげはる)が入封、1717年(享保2)ふたたび亀山に転封。かわって松平光慈(みつちか)(7万石)入封、8年後信濃(しなの)松本へ移封。領主交代の激しかった当藩も、1725年下野烏山(しもつけからすやま)より稲垣昭賢(てるかた)(3万5000石)が入封し、昭央(てるなか)、長以(ながもち)、長続(ながつぐ)、長剛(ながかた)、長明(ながあき)、長行(ながゆき)、長敬(ながひろ)と8代、147年間在封。長続のとき、難破船の貢租米隠匿の「波切(なきり)騒動」(1830)が起こっている。1871年(明治4)廃藩となり、鳥羽県、度会(わたらい)県を経て76年三重県に編入された。

[原田好雄]

『『磯部郷土史』(1963・同書刊行会)』『中岡志州著『鳥羽志摩新誌』(1970・中岡書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥羽藩」の意味・わかりやすい解説

鳥羽藩 (とばはん)

志摩国(三重県)に置かれた藩。伊勢国司北畠氏に属した九鬼嘉隆が土豪を制圧し,1580年(天正8)鳥羽に入って築城,城は大手を海に開き,〈鳥羽の浮城〉といわれた。〈水軍の将〉として織田信長,豊臣秀吉に仕えて3万5000石の大名となり,守隆のとき5万5000石,久隆のとき3万6000石になって移封。以後,内藤忠重(46年),幕領(8ヵ月),土井利益(10年),松平乗邑(19年),板倉重治(8年),松平光慈(1年)とめまぐるしく藩主が交替したが,1725年(享保10)稲垣昭賢が入り,明治維新まで3万石の譜代藩として続いた。城下町は北側の岩崎,奥谷が侍屋敷で,本町,大里町,横丁,中之郷,藤之郷が町人町であった。町方は,町奉行-町年寄-町名主の機構で支配された。水軍の根拠地であった鳥羽浦は,前面に幾つもの島が横たわって天然の防波堤となり,その間に通じる水路でどこからでも出入りできる良港である。また黒潮に乗って遠州灘を渡り伊豆へ1日で航海できるので,江戸~大坂航路が盛んになるにつれ,廻船の風待港としてにぎわい,〈はしりがね〉と呼ばれる遊女も多数いた。領内は山稼ぎ,漁稼ぎをする貧しい農村が大半で,収穫の不安定な漁村も多く,藩財政は安定しなかった。そこで役家を設定して,夫米,水主米を定量で徴収したが,藩債は累積し,1761年(宝暦11)には伊勢の射和(いざわ)村(現,松阪市)の豪商から1万両の献金を受け,永久に年禄300俵を与える約束をしている。藩札は鳥羽札といわれ,新田開発を試みたが大きな成果はなく,廃藩まで財政難にあえいだ。
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藩名・旧国名がわかる事典 「鳥羽藩」の解説

とばはん【鳥羽藩】

江戸時代志摩(しま)国答志(とうし)郡鳥羽(現、三重県鳥羽市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩。藩校は尚志館(しょうしかん)。藩祖は、九鬼(くき)水軍を率いて志摩国を支配した九鬼嘉隆(よしたか)で、織田信長(おだのぶなが)豊臣秀吉(とよとみひでよし)に仕えて3万5000石の大名となった。1600年(慶長(けいちょう)5)の関ヶ原の戦いでは、嘉隆が西軍、子の守隆(もりたか)は東軍に属した。戦後に嘉隆は自刃(じじん)、守隆は2万石加増され、さらに大坂の陣での功により5万5000石となった。しかし、32年(寛永(かんえい)9)に守隆が死没すると、家督争いが起き、それぞれが転封(てんぽう)(国替(くにがえ))されてしまった。以後鳥羽藩には、内藤忠重(ただしげ)以下3代、土井利益(とします)、松平(大給(おぎゅう))乗邑(のりさと)、板倉重治(しげはる)、松平(戸田)光慈(みつちか)と、譜代が次々と3万5000石から7万石で入転封した。1725年(享保(きょうほう)10)に下野(しもつけ)国 烏山(からすやま)藩から譜代の稲垣昭賢(あきかた)が3万5000石で入って藩主家が定着、以後明治維新まで稲垣氏8代が続いた。1871年(明治4)の廃藩置県で鳥羽県となり、その後、度会(わたらい)県を経て76年三重県に編入された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥羽藩」の意味・わかりやすい解説

鳥羽藩
とばはん

江戸時代,志摩国 (三重県) 鳥羽地方を領有した藩。熊野八庄司の一つといわれる九鬼 (くき) 氏が,戦国時代の嘉隆の代に勢力をもって,豊臣秀吉のもとに3万石を領有したのに始る。その子守隆は関ヶ原の戦いの功により慶長5 (1600) 年に5万 5000石となった。寛永 10 (33) 年以降は内藤氏3万 5000石,土井氏7万石,松平 (大給) 氏6万石,板倉氏5万石,松平 (戸田) 氏6万石を経て,享保 10 (1725) 年以降は稲垣氏が下野 (栃木県) 烏山から移って3万石を領有し廃藩置県にいたった。稲垣氏は譜代,江戸城帝鑑間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「鳥羽藩」の解説

鳥羽藩

志摩国、鳥羽(現:三重県鳥羽市)を本拠地とした藩。鳥羽城は、九鬼(くき)水軍を率いた九鬼嘉隆(よしたか)が築いた城で、“鳥羽の浮城”の名で知られる。歴代藩主には内藤氏、松平(大給、戸田)氏、稲垣氏など。

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世界大百科事典(旧版)内の鳥羽藩の言及

【志摩国】より

…【稲本 紀昭】
【近世】
 戦国時代からこの地を拠点とした九鬼氏は文禄・慶長の役にも出軍した。関ヶ原の戦で東軍に属した九鬼守隆は,1601年(慶長6)所領を安堵されて鳥羽藩主となった(5万5000石)。その後鳥羽藩は内藤忠重,菰野藩預り,土井利益,松平乗邑,板倉重治,松平光慈,幕府直轄,稲垣昭賢と藩主の交替をみ,譜代藩として明治に至った。…

※「鳥羽藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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