鶴沢友次郎(2代)(読み)つるざわ・ともじろう

朝日日本歴史人物事典 「鶴沢友次郎(2代)」の解説

鶴沢友次郎(2代)

没年:文化4.10.3(1807.11.2)
生年:生年不詳
江戸中・後期の義太夫節三味線弾き。初代友次郎の門弟。前名初代文蔵。寛政12(1800)年に2代目を襲名した。通称児島屋。人形浄瑠璃竹本座で活躍する一方,「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓」などの作曲も手がけた。質実な曲風で「きっすいの西流」といわれる。天明1(1781)年の浄瑠璃評判記で至極上々吉惣巻頭に位置づけられたが,三味線弾きが太夫より上位になったのは,彼とその師初代友次郎のみである。門弟に2代目文蔵,初代清七らがいる。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1,2』

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢友次郎(2代)」の解説

鶴沢友次郎(2代) つるざわ-ともじろう

?-1807 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方
初代鶴沢友次郎の門人。寛政12年2代友次郎を襲名。「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」などを作曲した。文化4年10月3日死去。前名は鶴沢文蔵(初代)。屋号は児島屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android