鶴沢友次郎(読み)つるざわともじろう

精選版 日本国語大辞典 「鶴沢友次郎」の意味・読み・例文・類語

つるざわ‐ともじろう【鶴沢友次郎】

義太夫節三味線方。鶴沢派の宗家。五世。京都の人。通称建仁寺町。三世野沢喜八郎に入門。慶応二年(一八六六)五世友次郎襲名。幕末明治名人と称された。文化一二~明治二八年(一八一五‐九五

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改訂新版 世界大百科事典 「鶴沢友次郎」の意味・わかりやすい解説

鶴沢友次郎 (つるざわともじろう)

義太夫節の三味線演奏者。鶴沢姓の祖。歴代名人が多い。(1)初世(?-1749(寛延2)) 前名三二。初世,2世竹本政太夫豊竹筑前少掾らを弾き,西風の三味線を確立。(2)2世(?-1804(文化1)) 前名鶴沢文蔵。生粋竹本座の演奏家で,《本朝廿四孝》《妹背山婦女庭訓》などの初演の三味線を弾いた。(3)3世 初世鶴沢清七の後名。(4)4世(?-1862(文久2)) 前名2世伝吉。通称籠島屋。(5)5世(1815-95・文化12-明治28) 前名3世伝吉。一時5世野沢喜八郎を名のる。通称建仁寺町。(6)6世(1874-1951・明治7-昭和26) 前名4世猿糸。2世,3世竹本津太夫を弾く。通称山端(やまばな)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶴沢友次郎」の意味・わかりやすい解説

鶴沢友次郎
つるざわともじろう

義太夫(ぎだゆう)節の三味線。鶴沢派の宗家名。初世(?―1749)は前名を三二(さんじ)といった盲目の検校(けんぎょう)で、1714年(正徳4)竹本座の『相模入道千疋犬』(さがみにゅうどうせんびきいぬ)が初舞台という。20年(享保5)に友次郎と改名し、竹本播磨少掾(はりまのしょうじょう)らを弾いた。2世(?―1807)の前名は鶴沢文蔵で、三味線の地位を高めた名人。『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)のほか数多くの作曲を残した。3世(1748―1826)を継いだのは、朱(しゅ)(三味線の楽譜)を発明した鶴沢清七(せいしち)である。建仁寺町(けんにんじまち)を通称とした5世(1814―95)は、全国に名をとどろかせた名人で、5世野沢喜八郎を名のったこともある。6世(1874―1951)は1940年(昭和15)に引退するまで、3世竹本津太夫の相三味線として、重厚な西風(にしふう)の三味線を弾いた。

[倉田喜弘]

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