ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢清七(1世)」の意味・わかりやすい解説
鶴沢清七(1世)
つるざわせいしち[いっせい]
[没]文政9(1826).7.22.
義太夫節の三味線方。通称松屋清七。宝暦 10 (1760) 年竹本座に初出座。天明2 (82) 年清二郎から清七と改名。寛政1 (89) 年三味線筆頭となる。引退後3世鶴沢友次郎を名のった。安永年間 (1772~81) の頃,いろは 48文字を使って三味線のツボ (勘所) を示す「朱」という記譜法を考案した。その後改良されて今日まで使用されており,義太夫節の習得・伝承・演奏に多大の貢献をしている。
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