鶴沢清七(5代)(読み)つるざわ・せいしち

朝日日本歴史人物事典 「鶴沢清七(5代)」の解説

鶴沢清七(5代)

没年:明治34.10.12(1901)
生年:文政11.4.15(1828.5.28)
幕末明治期の義太夫三味線名手豊沢団平豊沢広助と並び称された。本名浅田嘉七。大坂の生まれ。鶴沢九蔵(のち2代目勝右衛門)の門下で,天保12(1841)年広吉の名で初出座。弘化4(1847)年に師名を継いで九蔵と改め,次いで3代目勝右衛門となる。3代目竹本長門太夫や3代目清七の教えも受け,両人没後の元治1(1864)年,芝居から退いて素人浄瑠璃育成に努めた。明治18(1885)年清七を相続。清廉高潔な人柄は義太夫界の鑑と称賛され,6代目清七ほか多くの門下を輩出した。<参考文献>柳香散史「鶴沢清七」(『新小説』1902年7月号)

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢清七(5代)」の解説

鶴沢清七(5代) つるざわ-せいしち

1828-1901 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方
文政11年4月15日生まれ。2代鶴沢勝右衛門の高弟。元治(げんじ)元年引退して後進を育成。明治18年5代清七を襲名した。明治34年10月12日死去。74歳。大坂出身。本名は浅田嘉七。初名は鶴沢広吉。前名は鶴沢九蔵(2代),鶴沢勝右衛門(3代)。

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