朝日日本歴史人物事典 「鶴沢清六(3代)」の解説
鶴沢清六(3代)
生年:明治1.9(1868)
明治大正期の文楽三味線の名手。本名田中福太郎。通称塩町の師匠。静岡の蕎麦屋の3男に生まれ,はじめ長唄を習ったが,15歳のときに大阪へ出て,2代目鶴沢鶴太郎に入門,福太郎を名乗り,3代目鶴太郎,3代目叶を経て明治36(1903)年に3代目清六を襲名した。音,間,情の三拍子そろった芸は時代物,世話物ともにすぐれ,6代目野沢吉兵衛,6代目豊沢広助(名庭絃阿弥)と共に大正期文楽座の三味線三幅対と称された。明治42年から死ぬまで2代目豊竹古靭太夫(山城少掾)の相三味線を勤めて育て上げた功績は,文楽史上に特筆されるべきものがある。<参考文献>『義太夫年表/明治篇,大正篇』
(山田庄一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報