鷲尾雨工(読み)ワシオウコウ

デジタル大辞泉 「鷲尾雨工」の意味・読み・例文・類語

わしお‐うこう〔わしを‐〕【鷲尾雨工】

[1892~1951]小説家新潟の生まれ。本名、浩。直木三十五とともに出版社を設立するが、失敗。その後、実証的な手法で描く歴史小説で高い評価を得る。「吉野朝太平記」で直木賞受賞。他に「明智光秀」「甲越軍記」「若き日の家康」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鷲尾雨工」の意味・わかりやすい解説

鷲尾雨工
わしおうこう
(1892―1951)

小説家。新潟県西蒲原(にしかんばら)郡黒埼(くろさき)村(現新潟市)に生まれる。本名浩。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。幼少年期から史談史話に親しみ、歴史に対して一家言をもつ。一時、事業に身を入れたが失敗。1935年(昭和10)から40年にかけて書き下ろし長編『吉野朝太平記』全6巻を発表。これによって第2回直木賞を得、歴史小説家として認められ、作家としての地位を確保した。以後、大衆向けの雑誌に多くの歴史小説を書く。『武家大名懐(ふところ)勘定物語』(1942)など、実証に支えられた好著で知られる。

[関口安義]

『『大衆文学大系26 鷲尾雨工他集』(1973・講談社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鷲尾雨工」の解説

鷲尾雨工 わしお-うこう

1892-1951 大正-昭和時代の小説家。
明治25年4月27日生まれ。早大の同級生直木三十五とともに春秋社をおこし,大正8年には冬夏社を創立するが失敗。のち作家生活にはいり,昭和11年「吉野朝太平記」で直木賞。昭和26年2月9日死去。58歳。新潟県出身。本名は浩。著作ほかに「妖啾(ようしゅう)」「合戦小牧山」。

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