改訂新版 世界大百科事典 「麒麟麦酒」の意味・わかりやすい解説
麒麟麦酒[株] (きりんビール)
ビール業界の大手メーカー。明治初期,アメリカ人醸造技師W.コプランドが横浜山手の外人居留地に設立したスプリング・バレー・ブルワリーに源を発する。日本最初のビール事業とされる彼の事業はその後経営難におちいり,1885年イギリス人J.ドッズとT.B.グラバーらが中心となり,岩崎弥之助,後藤象二郎,渋沢栄一などにも協力を呼びかけ設立された香港法人のジャパン・ブルワリー・カンパニー・リミテッドに引き継がれた。88年〈麒麟〉のブランドでビールを発売,翌89年麒麟の図柄を新デザインに切り替えた。これはほぼそのまま現在に引き継がれている。1907年同社のブランド〈キリンビール〉の一手販売権をもっていた明治屋の社長米井源治郎ら三菱系の人々が中心となり三菱合資会社社長岩崎久弥の援助を得て,ジャパン・ブルワリーを買収し,麒麟麦酒を創立(当時のシェア19%)した。28年キリンレモンの製造を開始。
第2次大戦前のビール業界は大日本麦酒が70%超のシェアを握り,麒麟麦酒のシェアは25%程度にすぎなかった。戦後の麒麟の躍進は,49年に大日本麦酒が過度経済力集中排除法の適用を受け,日本麦酒(現在のサッポロビール)と朝日麦酒(現在のアサヒビール)に分割されたことが契機となった。麒麟はこの分割で日本,朝日の両社とほぼ肩を並べることができるようになり,その後はブランドが戦前から一貫していること,工場配置が適正だったことという有利な条件のもと,日本,朝日の対立の間隙をぬって年々シェアを拡大し,トップ・メーカーの地位を築いたが,アサヒビールの伸びに追われ,現在はビールのシェアは2位。ビールなどの酒類,飲料の売上比率が圧倒的に高いが,バイオ,医薬分野を中心に多角化に取り組んでいる。資本金1020億円(2005年12月),売上高1兆6322億円(2005年12月期)。
執筆者:黒田 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報