黒沢琴古(2代)(読み)くろさわ・きんこ

朝日日本歴史人物事典 「黒沢琴古(2代)」の解説

黒沢琴古(2代)

没年:文化8.6.12(1811.7.31)
生年:延享4(1747)
江戸中・後期琴古流尺八奏者。本名幸右衛門,のち幸八と改名初代琴古の子。尺八に堪能で父のあとを継ぎ,2代目となる。父と同じく普化宗両本寺(一月寺,鈴法寺)の 吹合(尺八指南役)を務め,また京橋柳町など江戸市中にも教授所3カ所を設けて,尺八の一般への普及にも一役を買った。2代目琴古の活躍で,初代が築いた流の基礎はより確実なものとなり,「琴古流」の名称もこのころから用いられ始めたものと思われる。<参考文献>栗原広太『尺八史考』(復刻,1975)

(瀬山徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢琴古(2代)」の解説

黒沢琴古(2代) くろさわ-きんこ

1747-1811 江戸時代中期-後期の尺八奏者。
延享4年生まれ。初代黒沢琴古の子。父の跡をつぎ,琴古流2代となる。普化(ふけ)宗両本寺の一月(いちげつ)寺,鈴法寺の吹合(ふきあわせ)として尺八の指導にあたる。また江戸市中に教授所を3ヵ所ひらいた。文化8年6月12日死去。65歳。名は幸右衛門,のち幸八。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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