世界大百科事典(旧版)内の《アラビアのロレンス》の言及
【リーン】より
… ディケンズの小説を映画化した《大いなる遺産》(1946),《オリバー・トウィスト/放浪の孤児》(1948)がそれに続き,戦後のイギリス映画のルネサンスを築く。ディケンズものとノエル・カワードの小市民喜劇を合わせたといえる《ホブスンの婿選び》(1954),《逢びき》の延長線上に生まれた恋愛映画の名作《旅情》(1955)をへて,ハリウッドのプロデューサー,サム・スピーゲルの製作による《戦場にかける橋》(1957)と《アラビアのロレンス》(1962)でアカデミー監督賞を連続受賞し,国際的な大監督の座についた。《アラビアのロレンス》から《ドクトル・ジバゴ》(1965),《ライアンの娘》(1970)と70ミリの大画面を駆使した文芸色豊かなメロドラマで興行価値100パーセントの巨匠となり,とくに《ライアンの娘》は,70ミリのカメラで撮影された〈真の70ミリ映画〉の最後の作品といわれる。…
【ロレンス】より
…イギリスの探検家,考古学者,軍人。通称〈アラビアのロレンス〉で有名。オックスフォード大学で考古学を学び,ことに中近東に関心をもち,1910‐14年大英博物館の中東遺跡発掘調査に参加。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」