世界大百科事典(旧版)内の《ケニア山のふもと》の言及
【キクユ族】より
…これが九つのクランの起源だという。このような伝統的な文化と生活様式については,ケニアの初代大統領ジョモ・ケニヤッタがロンドン大学で人類学を学んでいるときに書いた《ケニア山のふもと》(1938。邦訳あり)に詳しく描かれているが,キクユは植民地支配に最も大きな影響を受けた民族であり,その生活も20世紀に入ってから急激に変化することになる。…
【ケニヤッタ】より
…翌29年,土地問題陳情のため渡英。31‐46年の第2回渡英中,ヨーロッパを回り,モスクワでも勉学するとともに,ロンドン大学で音声学,人類学の造詣を深め,出身部族であるキクユ族の生活を描いた《ケニア山のふもと》(1938)等を執筆。47年ケニア・アフリカ人同盟(KAU)党首となり,52年に急進派テロ事件の首謀者の嫌疑で投獄された。…
※「《ケニア山のふもと》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」