世界大百科事典(旧版)内の《サミュエル・ジョンソン伝》の言及
【ジョンソン】より
… 1763年のちに彼の伝記を書いたJ.ボズウェルと出会い,翌年にはジョンソンが中心となってE.バーク,O.ゴールドスミスら当時の有名人を会員とする〈クラブ〉(のち文学クラブと改名)を創立する。クラブを中心とした対談家ジョンソンの一面はボズウェルの《サミュエル・ジョンソン伝》に詳しい。そこには伝統を守り,事実を重んじ,時代の流行に対する懐疑的な精神を顕著に示しながら,人間味あふれるジョンソンの本領が示されている。…
【ブルーストッキング】より
…E.モンタギューがそのグループの指導者と目されていた。語源については諸説があるが,J.ボズウェルが《サミュエル・ジョンソン伝》(1791)で語るところによると,18世紀の終りごろ,エリザベス・ビージーなる女性のサロンで,インテリ女性たちの夕べの会合がしばしば開かれ,主として文学や芸術に関する高級な議論が交わされていた。男性側からも時の名士が招かれて会話に加わったが,そのなかでベンジャミン・スティリングフリートなる紳士が,普通一般の黒絹の靴下ではなく,青色のウールの靴下をはいて人目をひいた。…
【ボズウェル】より
…ロンドンとエジンバラとの間を往来し,ジョンソン博士の〈文学クラブ〉に入り,彼との交友を深め,その間彼とともにスコットランド旅行を行う。その成果が《ヘブリディーズ島旅行日記》(1785)や伝記文学の傑作《サミュエル・ジョンソン伝》(1791)に結実する。ジョンソンの死後,国会に出ようと試みるが果たさず,憂鬱症に悩まされつつ没した。…
※「《サミュエル・ジョンソン伝》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」