世界大百科事典(旧版)内の《ディオニュシウス文書》の言及
【ディオニュシウス・アレオパギタ】より
…伝説上,後にその地もしくはパリの司教となったといわれ,使徒と同列視された。彼は1457年バラ,1504年エラスムスが信憑性に疑義を呈するまで,中世全般を通していわゆる《ディオニュシウス文書》の著者と目されていた。これは,キリスト教教義の,新プラトン主義ことにプロクロスを主とするアテナイ派の体系の援用による再解釈を内容とする,《神名論》《神秘神学論》《天上階序論》《教会階序論》,ならびに超越神を近づきがたい光と闇になぞらえたり,聖書を象徴として論及した10の書簡からなるギリシア語の著作である。…
※「《ディオニュシウス文書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」