《ドイツ国民に告ぐ》(読み)どいつこくみんにつぐ

世界大百科事典(旧版)内の《ドイツ国民に告ぐ》の言及

【フィヒテ】より

…自我中心主義を純粋に守った点でフィヒテこそドイツ観念論の唯一の哲学者とみなす解釈者もいる。倫理思想への〈衝動〉概念の導入,個人の自由を中心とした法哲学の体系化,ドイツの国民意識の鼓吹(《ドイツ国民に告ぐ》1808)によって,同時代のロマン主義,共和主義,国民主義に大きな影響を与えた。貧困に終始苦しめられたフィヒテには独自の社会主義的構想(交易の国家管理)もあり,M.ヘスに影響がみられる。…

【ベルリン】より

…1806年,ナポレオンはこのブランデンブルク門からベルリンに入り,11月21日,有名な大陸封鎖令を宣言,ベルリンは以後2年間にわたりフランス軍の占領下におかれた。この占領期およびその直後のベルリンは,フィヒテの連続講演《ドイツ国民に告ぐ》(1806‐07)やF.L.ヤーンによる体操場の設置(1809年,市郊外のハーゼンハイデ)などを通じて,ドイツ国民意識高揚の中心地の一つとなり,1810年にはドイツ再建の精神的支柱とすべく,K.W.vonフンボルトの尽力によってベルリン大学が設立された。このベルリン大学では19世紀前半には,A.vonフンボルト,グリム兄弟,ヘーゲル,ランケが教えるなどドイツのアカデミズムの新しい中心となり,1836‐41年にはマルクスも学んでいる。…

※「《ドイツ国民に告ぐ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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