《モアナ》(読み)もあな

世界大百科事典(旧版)内の《モアナ》の言及

【ドキュメンタリー映画】より

…日本では〈記録映画〉という訳語も一般化している。映画での〈ドキュメンタリー〉という呼称は,そもそもアメリカの記録映画作家ロバート・フラハティがサモア島の住民の日常生活を記録した映画《モアナ》(1926)について,イギリスの記録映画作家であり理論家であるジョン・グリアソンJohn Grierson(1898‐1972)が,1926年2月の《ニューヨーク・サン》紙上で論評したときに初めて使ったことばで,それまでは〈紀行映画travel film(travelogue)〉を指すことばだったフランス語のdocumentaireに由来している。広義には,劇映画に対して,〈事実〉を記録する〈ノンフィクション映画〉の総称で,ニュース映画,科学映画,学校教材用映画,社会教育映画,美術映画,テレビの特別報道番組,あるいはPR映画,観光映画なども含めてこの名で呼ばれるが,本来は(すなわちグリアソンの定義に基づけば),〈人間の発見と生活の調査,記録,そしてその肯定〉を目ざしたフラハティから,〈映画は生きものの仕事〉であり〈事実や人間との出会い〉であるという姿勢を貫いてカメラを対象のなかに〈同居〉させた《水俣》シリーズ(1971‐76)の土本典昭(つちもとのりあき)(1928‐ )や《三里塚》シリーズ(1968‐73)の小川紳介(1935‐92)らにつらなる方法と作品,すなわち〈実写〉とは異なる〈現実の創造的劇化〉が真の〈ドキュメンタリー〉である。…

【フラハティ】より

…単なる〈実写映画〉とは異なるこの画期的な記録映画に初めて〈ドキュメンタリー映画〉の名が冠せられた(名付親はジョン・グリアソン)。南太平洋の島に住むサモア人を〈パンクロマティック・フィルム〉を使って撮った《モアナ》(1926)のあと,W.S.バン・ダイク監督《南海の白影》(1928),F.W.ムルナウ監督《タブウ》(1931)という2本の劇映画への協力は信念の相違から途中で手を引くこととなったが,イギリスへ招かれてアイルランド西方の孤島で生きる人々を描いた《アラン》(1934),アメリカのスタンダード石油会社の出資による《ルイジアナ物語》(1948)などをつくり,ドキュメンタリー映画史に不滅の足跡を残している。 フランスの〈シネマ・ベリテ〉の代表的映画作家ジャン・ルーシュはその方法論をフラハティから学んだと語り,イタリアの〈ネオレアリズモ〉の理論的指導者であった脚本家のチェザーレ・ザバッティーニもフラハティのドキュメンタリーから深い影響を受けたと告白しているように,フラハティのドキュメンタリーは〈ネオレアリズモ〉や〈シネマ・ベリテ〉の先駆けであったといえる。…

※「《モアナ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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