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《伊賀越乗掛合羽》 いがごえのりかけがっぱ

世界大百科事典内の《伊賀越乗掛合羽》の言及

【伊賀越道中双六】より

…上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。1776年(安永5)12月大坂嵐座上演の奈河亀輔作の歌舞伎を翌年3月に大坂豊竹此吉座で人形浄瑠璃化した当り作《伊賀越乗掛合羽(いがごえのりがけがつぱ)》に依拠するところが大きいが,敵を追う主人公たちの移動につれてさまざまな人々の義理と恩愛とにからんだ悲劇が次々と東海道筋に展開されていくという構想は本作独自の風趣を生み出すものとなっている。なかでも志津馬の愛人お米の父である雲助平作が久しぶりに再会したわが子の呉服屋十兵衛から敵股五郎の消息を聞き出すために自害する〈沼津の段〉(六段目)や,政右衛門が旧師山田幸兵衛の面前でわが子を殺して義心を示す〈岡崎の段〉(八段目)などが繰り返し上演され,また,作品としての出来もよい。…

【奈河亀輔】より

…初世並木正三に師事して劇作を始め,1771年(明和8)初めて中の芝居に名を出し,正三の没した73年(安永2)から約15年間,おもに中の芝居の立作者として40余編の狂言の筆を執った。時代物にすぐれ,なかでも《競(はでくらべ)伊勢物語》(1775),《伊賀越乗掛合羽》(1776),《伽羅(めいぼく)先代萩》(1777),《加賀見山廓写本(さとのききがき)》(1780),《殿下茶屋聚(てんがぢややむら)》(《敵討天下茶屋聚》1781)の5編は《伊賀越》が145日打ち通すという古今まれな大当りをとったのを筆頭にいずれも大入り大当りをとり,初演以後も繰り返し上演された。純然たる歌舞伎狂言を書きえた亀輔は中古歌舞伎作者の祖とされる。…

【吉田一保】より

…《浪花見聞雑語》などに,まこと芝居を見るような古今無双の名人とたたえられた大坂講談中興の祖。得意とした伊賀の仇討を奈河亀輔が脚色し,大坂中の芝居で上演した《伊賀越乗掛合羽》は,1776年(安永5)から翌年にかけて140日打ち続けられた。その知識の一端は版を重ねた簡便な解題書《和漢軍書要覧》(1770)によって知られる。…

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